ホテルとコワーキング

Wojoというコワーキングのブランドが野心的だという記事をSocialworkplace.comが掲載している。

Airbnbの台頭、Booking.comの隆盛で、特に欧州では私はブランドホテルに泊まることはほとんどなくなった。安くて、安全であれば狭くても良いが、ネットワークはきちんと機能してくれないと困るし、自室内である必要は無いが、執務が可能な場所は不可欠である。機能的なラウンジがあって、カフェ、バー併設であればとても具合が良い。Wojo Spotsは、月額約1,200円の会費を払えば、場所によっては無料、有料なケースで半日1,500円弱でドロップイン利用ができるサービスだ。現在はフランスでのサービスで、パリ市内ならホテル併設等で無数にポイントがある。これが欧州全域に広がればインパクトは大きいだろう。

少し引いて見ると、Booking.com等の貢献で、ホテルの価格や機能を含む検索が容易になったために、ブランドが胡坐をかいていることが許されなくなったという現実がある。しかし、空き物件をホテルのように提供するアパートメントホテルのサービスはばらつきがあるし、それが面白いという面もあるが、はずれを引いた時はダメージが大きい。また、大きな企業が運営するホテルチェーンには資金力があり、規模のメリットを出せる余地もある。今起き始めているのは、ホテルのサービス機能のアンバンドリングでありシェアリングだ。

ホテルで部屋に籠って仕事をしたい事はあるけれど、心地よく長時間執務できるような環境が整っているケースは少ない。アメリカでは私はマリオットグループをよく使っていて、十分執務できるスペースが自室にあるサブブランドを気に入っているが、かなり高額になる。大体、部屋にいて寝ていない時間など3時間程度だから、その時間の執務のために設備があって高くつくのは無駄だ。その3時間の体験に代替手段があればその方が良い。1室2万円のフルサービスホテルより、1室1万円で3,000円のラウンジサービスを払う方が良い。デジタルノマド的な執務形態でも荒天でない限りホテルから一歩も出ないような日は嫌だ。3時間以上の連続執務を行う日であれば、むしろ外部のコワーキングスペースを使いたい。Wojoが提案する居る場所から、10分以内で適切なワークスペースが見つかる社会は、現実となれば未来を変えると思う。

ホテルは不動産事業の側面とサービス事業の側面をもっていて、米国のホテルチェーンがホテルという場所に拘らないケータリング+サービスで起業イベントの運営を担っていたのを初めて見た時はとても驚いた。もう20年は前の事だと思う。既に、ホテルビジネスのブランドを箱から分離してサービスに移していたのである。もちろん、多くの客はホテルという箱に掲げられている看板とブランドを結び付けているだろうが、本当に提供しているのは顧客満足あるいは顧客体験なので、本当の差別化はサービスの内容で決まる。単立の上質なブティックホテルがそのホスピタリティで客の支持を受けるのに対し、大手は合理的なサービス品質管理を遍く提供することで競争優位を確保している。期待顧客体験に顧客評価価額が連動する。

コワーキングスペースもブランド時代に入った。不動産事業者が箱の提供と維持を担いつつ、ブランドサービス事業者が顧客体験を競うアンバンドリングの時代の到来ともいえる。個人的な感想だが、欧州は独占に厳しく、アメリカは独占に甘い。アメリカは強者がどんどん買収して多様性が失われ、選択肢が減り、価格もサービスも2極化する。同じ国の中に富裕者の社会と貧困者の社会があって、生活者経験が分断していて連続性がない。それに比べると、欧州には超富裕層の影はちらつくが、幅広いサービスが併存している感じがして私には居心地が良い。ホテルもそうだが、コワーキングも他の利用者の行動が利用者満足を大きく左右する。場の雰囲気を壊す利用者が1名入って来るだけで、台無しになってしまう。多様性が許容されるためには、利用者が成熟していなくてはならない。

Wojoが作り出す空間が、どう機能するのか、しないのか、この目で見て確かめたい。

なぜ、日本では欧米のようにサービス事業が育たないのだろうか。多分、雇用流動性の低さが原因で、流動性が低いから属人化運営が機能し、人への依存度が低いシステム化の投資が見合わないのだと思う。その結果局所最適に陥っていて、スケールするビジネスが生まれないのではないだろうか。私は、国民性という概念を信じていない。制度設計次第で行動は変わると思っている。

Wojoは日本でいう雇用型テレワーカーと自営型(非雇用型)テレワーカーの双方をサポートしその共存を指向しているように見える。相当ハードルは高い気がするが、もし成功すれば社会が変わり始めるだろう。一人の人から見れば、被雇用者であり雇用者あるは自営であるという状態であることが特別な事では無くなるという事だ。デジタル技術の実応用が社会を根底から変えつつあり、コワーキングはその一つの現れだと思っている。従来型企業視点でコワーキングを見ていると根本的に道を誤ってしまうリスクがある。30年もあれば、伝統と思っていた常識など変わるものだ。