場所の記憶

hagi に投稿

私は谷根千に住んでいる。越してきてから20年強が経つが、この地で育ったわけでもなく、5年前に前職を辞めるまでは、人生のほぼ全ては仕事がらみで地域の人達との接点は希薄であった。しかし、今ではこの地域に愛着を感じている。

前職を辞し、ユビキタスライフスタイル研究所という会社を命名するにあたって、ワークスタイルかライフスタイルかで少し悩んだ。その少し前に、東北大震災、鳥インフルエンザといった事象で事業継続性というテーマがビジネス界で脚光を浴びていたということもある。また、ニューヨーク赴任で妻に帯同を求めたことにより、場所に束縛されない働き方の可能性について思うところがあったこともある。もともとIT屋が商売として考える上では、ワークスタイル変革を相手にするのが良いのではないかと思っていた。同時に、所属しているキリスト教会で高齢化の波と終末期の生き方について考えさせられるものがあり、グループホーム型の共存空間についても関心があった。まずは、会社という組織から独立した働ける場所の可能性を探るところから始めて、これからの時代の生き方の提案で社会のお役に立ち、生計を立てていこうと思って結局ライフスタイルという名前を選んだ。

それから5年、様々な事を学んだ。

それまでの人生はそれなりにちゃんとした会社の会社員という身分を前提に過ごす時間が大半を締めていたが、コワーキングスペースに関わるようになって会社員暮らしとは異なる世界があることが時を経るうちにだんだん見えてくるようになった。会社が競争社会で勝ち残るため、会社で競争社会に勝ち残るため、という広い意味での自分を起点とする考え方ではなく、例えばスペースを開いて来訪者を待ち、来て下さったお客様とつながりを持ち、ともに励まし合いながら自律的に生きていくという世界に触れた。

お店は簡単に場所を移せないのだ。もちろん、人も簡単に住居を移せない。

お店は、何らかの需要を満たして持続性を保っている。会社員時代の自分にとってお店は自分の需要を満たしてくれるものとしてしか感じられていなかった。しかし、実際には運営者がいて、まわりにご近所がある。その人を含めて「お店」を見るようになると、そのお店、その場所の記憶の上に現在があり、そして未来があることが感じられるようになった。

そういったお店で30年も働いてきた人と話をすれば、かつて通用したことが今は全く通用しなくなった話や、かつて栄えた地域が魅力を失ってしまった話には事欠かない。今本当に賑やかで愛着のある谷根千だって将来はどうなるのかはわからないのだ。天災だってある。

最近、地域振興に関わるテーマに触れる機会が複数あったので、気になって改めて谷根千の事を検索したら、早稲田大学の卒論と思われる文書がヒットした。題は「近隣型商店街とテーマパーク的性質を併せ持つ商店街のあり方 ~谷中銀座商店街はなぜ滅びないのか~」である。A4 63ページの論文に様々なことが書かれていて、いわゆるローカルなNGO的な活動が複数あって、街が変わってきたことがわかる。守られたものがあることもよく分かる。恐らく4年前の2014年のものだが、既に変わってしまっていることもある。

形あるものに対する思いは、場所の記憶として残る。特に建築物や景色は強い印象を人に残し、時間が経過しても残ることがある。この歳になると30年前のあの景色がもう一度見たくてわざわざ訪問してしまうこともある。約2000年前のマケドニアがどうだったのだろうと思いを馳せることもある。

一方で、形あるものは壊れる。例えば、飲食店が同じ形態のまま長く続けることはできない。その機能性、需要に注目すればコンビニや飲食チェーンには勝てない。記憶も時間が経過すればほぼ失われる。

情報は無形だが、はるかに長く残すことができる。機能性だけを抽出、システム化して競争力の厳選とする可能性もある。例えば、地域雑誌『谷根千』は約10年前、2009年には終刊したが、谷根千ねっとはまだ生きていて、巻頭言アーカイブスにも新しい記事が出ているし、情報トピックスに新しいイベントの案内も掲載されている。将来に渡って、かなり安いコストで保存することもできるだろう。

時間や場所に縛られるものは儚く美しく貴重なものなのだ。場所の記憶は人を惹きつける。場所に縛られないライフスタイルを模索する時には、場所の記憶に丁寧に向かい合わないといけないと感じるのである。