米国の1 Million for Work Flexibilityという団体が、Remote Work or Telecommute: What’s the Differenceという記事を昨年7月に発表した。邦訳すれば、「リモートワークとテレワークはどう違うのか?」とするのが適当だろう。Telecommuteは在宅勤務と訳すのが一般的だが、コワーキングスペース等の台頭で、Work from homeを在宅勤務と訳し、Telecommuteをオフィスへの通勤距離以内での在宅勤務やコワーキングスペースの勤務とより緩い基準で考えるのが適当になってきたとしている。一方、リモートワークは、通勤圏外に住んで働く働き方と位置付けている。この記事には無いが、さらに一所に留まらずに移動しながら働く働き方をデジタルノマドと言えば良いのだろう。
米国では、オバマ時代の2010年にTelework Enhancement Actというルールが制定され、政府機関はテレワークに関する方針を設定することが義務付けられ、相当な勢いでテレワークを推進した。実際、多くの政府職員がテレワークを活用してメリットを得ているようだ。もちろん、それを良く思わない管理職もいるという記事もある。それでも、少なくとも大都市では在宅勤務もコワーキングスペース勤務も「驚くべき働き方」では無くなってきている。
一方で、Forbusの昨年の記事によれば、米国労働者の36%がフリーランス経験をしているとしていて、さらにその内の29%が専業フリーランサーとしている。労働者の1割強が本物のフリーランサーで専業率は3年で17%上がっているという。10年以内に複業就労者と専業フリーランサーは5割を超え、専業フリーランサーは全体の2割を超えるだろう。ある意味では、非常に不安定な時代を迎えつつある。1 Million for Work Flexibilityのような団体は大量に発生する自発的または非自発的な流動性の高い労働者を相手にしたサービスを提供して存在感を高めていく事になるだろう。
当然社会保障の問題は深刻になる。米国では優良企業との雇用契約が無いと健康保険一つとっても相当な困難があるし、フリーランサーなら失業への保証もない。無策が続けば、格差は深刻になり、やがて社会全体の安定も失われていく事になる。ならば、そういう流動性を押さえつけて、所謂正規雇用を義務づけるように規制を作り上げていくという方法を考えることもできるだろうが、恐らく時計の針を巻き戻すようなことはできない。カナダで取組まれているCOHIPのような制度を機能させていく方が現実的な感じがする。
問題は、「いつどんな事が起きるのか」である。あまりに早すぎる動きは犠牲者を生むし、リモートワークを可能にする技術のメリットを十分享受できずに時代遅れになれば国の単位、地方の単位で競争力を失ってしまう。日本では、国肝入りのテレワークディの参加企業すら1000社に満たず、参加者は6万人余り、東証上場会社が約3600、一部上場の従業員数は300万人という説があるからテレワークへの取り組みはあまりに小さい。多分、まだ欧米に比べれば追い詰められていないか、追い詰められている事に気がついていないか、気がついていても変化を許容したくないかいずれかなのだろうと思う。そういう社会は、いつか激烈な変化を迎えることになる。
日本でテレワーク労働量が全体の2割超え、リモートワーカー5%、そしてデジタルノマドが1%を越えてくるような時代はそれぞれ何時頃来るのだろうか?それとも来ないのだろうか?
1993年から2000年にかけてのインターネットの隆盛を参考に、2013年の春に2020年にはそういう時代が来ているのではないかと想像したのだけれど、後2年ではとても来そうにない。