「もう一つの椅子」というイベントシリーズが立ち上がり、本日はその第一回目、テーマがNew Yorkの回に参加した。私は、短期間ながらマンハッタンに住んでいた事があるので、特にNew Yorkと結びつく本が思い当たるわけではないけれど開催者にお願いして参加させていただく事にした。
私を除いてイベントに参加していた人は、みな、本に対する深い愛情にあふれていた。私にとっても、物理的な本の質感やレイアウトから受ける影響は大きい。しかし、もう最近はほとんど紙の本を購入することは無い。Kindleとか電子ブックの方が携帯に便利だし、大抵安価だからである。効率至上主義者と後ろ指を指されても文句は言えない。仮に本の購入を減らしても、紙の新聞や雑誌を止めても、世の中は紙に溢れていて、少し油断するとあっという間に自分の周りには紙が積みあがる。結局ゴミになってしまうのが嫌で、紙からはできるだけ距離を置きたいと思っているのも本心だ。だから、私はこの会では明らかに風上に置けない輩である。本当はここに居てはいけない人なのではないかと感じつつも、ほっとするような柔らかな空気に包まれて豊かな2時間半を過ごさせていただいた。
本に愛情を注ぐ人は、手が触れるものにこだわりがあるように感じる。単に省力化を追求することなく、手間をかける事に価値があると思えば、その価値を時に効率化に優先させる人達だ。
コワーキングとか、コミュニティに関わる体験は、そういうタイプの人達に支えられている。必ずしも経営者がそういう人とは限らないが、運営者の中にうまく手間をかけられる人がいる空間は一味違う。
もちろん、コワーキングスペースに限らない。オフィスでも、そういった配慮をする人がいると空気が変わるのだ。緑をおけば脳波に良い影響が出るのは科学的に証明ができると思うし、統計的に分析していけば確実に快適さを高めることはできるだろう。しかし、少なくとも現時点では、その人、その人たちが生み出す空気の影響は統計データを凌駕しているように思う。
「もう一つの椅子」というイベントの紹介文は「一箱古本市・間借り本屋『もう一つの椅子』です。あなたの『もう一つの椅子』となるイベントのご案内をします」とある。そのコンセプトはその開催者や賛同する参加者と、開催場所すべてが組み合わされてはじめて意味と力を持つ。会場の良い意味での古さ、木の気配は、ある種の人が生み出す気を強化する力がある。
快適さは本当に奥深い。その瞬間、その場所に恵まれることによってのみ体験できる。