2021/05/28 13:00

金井美彦様

 

メールありがとうございました。

 

困難なことは承知の上、冷静に話を尽くせば、どこでなぜ信頼関係が壊れたかが判明することを期待して、正直に自分の思いをお伝えしました。感情的にぶつけたいからということではなく、現時点で私がどういう状態にあるかをお伝えした次第です。不快に思われたのであれば、お詫びします。お詫びばかりで申し訳ありません。自分としては、感情的にならないようにと何度も何度も見直した上でお送りしております。

もちろん、金井美彦様が私の現実を冷静に受け取ることができないということであればお送りしたこと自身が失敗です。

ご指摘のように、当初は総会決議違反だから会堂再開はやめて下さいと申し上げたものの、お聞き入れいただけなかったことで感情的になり、激しい中傷や脅しの言葉をお送りしてしまったのは事実です。その点は、金井美彦様がお許しになるか否かを全てお決めいただけることで、私ができることはそれらの行為について謝罪して許しを請うことだけです。改めて心中よりお詫びします。

「それでも、あのような深刻な中傷や恫喝はあってはならないと思っていますが。」は真にもっともなご指摘だと思います。私の欠けの一つであり、そういう行動を取ってしまう自分を恥じております。本件だけでなく、私の長患いです。

許されなくて当然ですが、許してもらえなければ行き止まりです。ですから、あえてお願いします。どうかお許しください。虫の良い申出であることは重々承知しておりますが、どうかお許しくださいと言わせて下さい。砧教会との関わりは金井美彦様次第です。他に道はあるかも知れませんが、恐らく公式に2020年6月7日は総会決議に反する行動を取りましたと告白していただくところに戻る意思が生まれなければ現状を打破できないでしょう。他の道があるかも知れないと思って経緯を辿ろうと思いましたがご希望にそえず申し訳ありませんでした。決して糾弾の意図はありません。出口を探るための提案だったのです。

 

現実的な問題として、現住陪餐会員への復帰は審議されるのでしょうか?

その道が閉ざされるのであれば、私は別の道を考えなければいけません。もちろん、母とも相談しないといけません。しばしば砧教会と高行のために祈っていますとメールを送ってくれる母のことを思うと永遠に待ち続けることはできません。でも、待つしか無いのだということは理解しています。

 

金井美彦様が顔と顔をあわせて話すのでないと先に進めないということであれば、安全を保ちつつ何らかの方法を考えるという道もあるかと思います。母は昨年ペンテコステの時点で私に役員であろうと感染のリスクを犯してこの時期に教会に行くのはやめてほしいと私に求めました(私は数値が落ちているので会堂が再開されれば行く気でいました)。父が施設に入っていたということもあると思いますが、まず命を大事にしてもらいたいとその時も今も願っていると理解しています。母は、牧師がやりたいと言えば会堂再開はしょうがないが、教会に人を集めることを今も適切とは考えていません(恐らくそう考えているのは母だけではありません)。当然、金井美彦様にはリスクがあると考えており、私が対面で会うことを喜ばないと思います。しかし、そうしないと前に進まないのであれば、何か方法を考えないといけないと思います。私自身は、必要な冷却期間をはさみつつ書簡の往復を続けるやり方を好みます。過去の誤りを確認しつつ進めることができるからです。

 

いずれにしても、理解に関する合意に至れたことは感謝しております。これまでのご尽力に御礼申し上げます。そして、私はまだ共に歩む未来への希望を捨てておりません。返信をお待ちします。ただ、どうか、お急ぎにならないで下さい。共に歩む未来を目指すと決めたときからは、金井美彦様のことはほぼ毎日寝る前の祈りに含めています。まあ、夜中に目が覚めて眠れなくなる日も時折あり、正直挫けそうになる日もありますが、祈りとともに進める所存です。

 

総会決議違反の指摘は、本当に総会決議違反はだめだと思って申し上げたことです。私が知る範囲で言えば、そりゃあ総会決議違反と言われればそうだけど、牧師がそういうのだったらしょうがないんじゃないのという意見が多かったと思います。多分、母も妻も同じ意見だと思います。私も、もし当時の立場にいなかったら、あえて総会決議違反だと声を上げることはなかったでしょう。

「わたしは、昨年の「事件」をたどり直すつもりはありません」とあるので、触れたくないのかも知れませんが、私にとっては逆に昨年の事件をたどり直さない限りどういう結果になるにせよ、問題が解消することはありません。以下にできるだけ簡潔に私に見えている事実を書かせていただきます。

声を上げなければならなかった直接的な理由はホームページを担当していたからです。木っ端役人のようだと笑われるかも知れませんが、ホームページは教会の公式な声を発するメディアだと考えています。ですので、本当に真剣に取り組んでいました。

総会の動議を審議した時は、みな心をあわせてどうコロナと対峙すべきか真剣に考えてあの結果を出しました。その議事録をまとめ、明文化した内容を確認し、それに基づいてホームページでも開示しました。私はホームページで閉鎖条件を開示した以上、それは公の約束と考えていましたから、本当に違反してはだめだと思っていたのです。それ以上でも、それ以下でもありません。

もちろん、守れないことはあります。だから、できるだけ牧師の希望に沿うように努力しました。牧師が教壇に立って説教を行いオルガニストも入れたら、常識で考えれば会堂礼拝の再開だろうと思うけれど、扉を閉じていれば閉鎖していることにできるのではないか、約束を破ることにならないのではないかと考えました。6月7日も最初から人が来ることを前提にしていたので、ご自宅でやられるオンライン礼拝の形態をそのまま会堂でやる(オルガニストを入れない)なら約束違反だけれど緊急避難の範囲に入るだろうと考えて、メッセージを作りました。それもこれも、砧教会が社会の公器だと考えて全力を尽くしました。福音を伝える機関が最低限守るべきことだと思ったのです。

合意は蒸し返しませんが、私が総会決議は神前の約束だとしたのと同時にホームページに開示した時点で社会に対する約束となると理解しています。内部であれ外部であれ破ったと指摘されたら、まず事実を確認し、もし破ったのが事実であれば、それに気づいた時点でそれを認め、その上で次に行くというのがあたりまえの姿勢だと考えています。それだけのことです。

 

ちなみに、法人代表者が事件性を指摘した人に対して「わたしは、昨年の「事件」をたどり直すつもりはありません」というメッセージを発すれば、この世の法では内部告発の弾圧に相当します。それ以前に、私の心の傷をさらに抉るような発言だと感じたことを表明します。黙っていると気持ちが伝わりませんので、正直に申し上げましたが、決して決裂を求めているわけではありません。金井美彦様が十分と思われる冷却期間を経て、再び前に向いてお話を続けていただけることを希望します。

 

萩原高行

 

P.S.

佐分利正彦氏との確執は否定しません。理由は明白で、2020年6月7日の件に限らず、総会や役員会での合意を簡単に破り、自分がオーナーであるかのように振る舞うことがあるからです。しかし、悪意はないと思っていますし、本当に良く教会のために尽くしてくださっていると思っています。ちなみに、金井美彦様が教会員の気持ちを丁寧に聞きながら判断するというステップを飛ばしたと感じたことは昨年6月以前には一度もありません。強いてあげれば、関島さんの退去の時は丁寧さに疑問を感じましたが、それもどうすれば良かったのかはわかりません。誠実性においては、金井美彦様はほぼ完璧です。また、以前と進め方は変わってしまい共感できない判断が増えましたが、今も誠実であろうとされていると感じています。それでも一回の経験が決定的となることはあるのだという恐ろしさを感じています。なぜ、そういう事がおきたのか、私は知りたいと思っています。なぜ、私の事実を指摘する声が届かなかったのでしょうか。過去は過去で、大事なのは未来だと思っていますが、過去がなくなるわけではありません。一連の件に関しては、封印は未来を暗くすると感じています。私自身が昨秋にもう見るのはやめようと思ったのですが、父の死と墓の問題で逃げることができないことに気付かされました。私は出口はあると期待しています。

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