今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第14主日 (2026/7/5 マタイ11章25-30節) 」。3年前の記事がある。
第一朗読 ゼカリヤ9・9-10
〔主は言われる。〕9娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。
10わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。
戦いの弓は絶たれ
諸国の民に平和が告げられる。
彼の支配は海から海へ
大河から地の果てにまで及ぶ。福音朗読 マタイ11・25-30
25そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。26そうです、父よ、これは御心に適うことでした。27すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。28疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
福音のヒント(2)には、「「柔和(πραΰς)」「謙遜(ταπεινὸς)」という言葉については少していねいに見ておきましょう」とある。柔和は福音書ではマタイ伝のみに3回利用されていて、謙遜は新約聖書では8回出てくるが、福音書ではマタイ伝とルカ伝で1回ずつ出てくる言葉である。福音のヒントではπραΰςは貧しいという意味だろうと書かれている。第一朗読で「高ぶることなく」は70人訳ではπραῢςという言葉。マタイ伝11:28-30の並行個所はなく、実際にイエスがこういう発言をしたのかは怪しい感じもする。29節から第一朗読のゼカリヤ書9:9が参照されている。マタイ伝の著者はゼカリヤ書の「あなたの王」がイエスを指していると解釈しているのだろう。ゼカリヤ書9章は第二ゼカリヤによるものと考えられていて、恐らくバビロン捕囚中のものだろう。これは後のエルサレム帰還の預言と捉えるのが自然で、イエスに結びつけるのは無理筋と言えるのではないかと思う。マタイ伝はユダヤ人への宣教が強く意識されているので、無理筋でもイエスを旧約聖書の預言の実現と位置づけようとしている傾向が強い。この個所では「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」に、サンヘドリンに従うよりキリスト教会に属したほうが良いという意味で使ったと考えることもできる。対ローマと考えることもできなくはないが、目はユダヤ社会に向いていただろう。個人的には、イエスの出現は別に旧約聖書で裏付けられる必要はないと考えている。正統性に固執すればむしろ事実が曲げられてしまう。日本であれば、天皇の2000年の伝統などどう考えても嘘っぱちで、史実が存在しているとはとても信じられないが、権威と権力を必要とする集団はその正統性にしがみついて長期で見れば社会の破壊につながっていく。選民思想を煽ってはいけない。
マルコ伝が所謂イエス伝であるのに対して、マタイ伝、ルカ伝は教会の規範によっていて、マタイ伝は旧約聖書の預言の実現というユダヤ人にとっての正統性を訴求しているように読める。マタイ伝は当初はヘブライ語で書かれたものとする説もある。英語版Wikipediaには「The gospel was written in the last quarter of the first century anonymously by a Jewish author who was familiar with legal aspects of scripture and the Hebrew language.」と書かれている。ヘブライ語を話すユダヤ人に宣教したければヘブライ語を使わないことは考えにくい。もともとギリシャ語で書かれたとする説のほうが勢いがあるようだが、その性質から考えるとヘブライ語を話すユダヤ人の教会が想起されるので、当初はヘブライ語だったという説に私は親近感を感じる。一方、ルカ伝はギリシャ語を常用しているユダヤ人が当初の教会員で、もともとユダヤ教徒的には周辺部にいる人達が想定されていたのだろう。公会議で東ローマでの公用語であるギリシャ語で正典化が行われて、今の形になったと考えるのが適切だ。
マタイ伝も複数の写本があり、様々な修正が加えられたのは間違いないから、この個所も教会の考えを示したものと考えるのが適切だと思う。まあ、そういう部分を含めて聖書は聖書だ。
※写真はPapyrus fragment containing Matthew 21:34-37。Wikipediaでの説明ではAD 150とされているから、もし、原典がヘブライ語だったとしても、かなり古い時期にギリシャ語版があったことになる。いろいろな仮説は立てられるが、検証できる範囲は狭い。