カテキズムという言葉を知ったのは、家族がカトリックに改宗した後だと思う。ひょっとしたらその前から聞いていたかも知れないが、実際に『カトリック教会のカテキズム』を購入して読み始めたのは2022年の4月。砧教会の2020年6月7日問題後、家族にとっても砧教会は安住の地ではなくなり、新たな時間が流れ始めた頃のこととも言える。それから3年余が経過し、母や妹が新たな道を選んで本当に良かったと心から思えるようになった。
カテキズムを読もうにわかりやすい解説がある。改めて、宗教改革のインパクトの大きさを感じる。教会の歴史は文書化の歴史でもあり、宗教改革後は情報公開の歴史でもある。第2バチカン公会議は世界大戦によって欧州を頂点とする世界構造が崩れ、民主政がカトリックに導入された事件と捉えることもできる。合意可能な教理の明文化は時代の流れと言えるが、古く巨大な組織がそれに対応できたと感心する。正直にそのすごさを尊敬する。しかし未だに秘跡が7つも残っているのが私には受け入れがたい。今後もまだまだ変わるだろう。
田川建三はカテキズムはルカ伝1:4のκατηχέω (katécheó)が起源と書いている。所謂パウロ系の文書に使われている言葉だが、恐らくその解釈は正しいだろう。
1コリ14:19「しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。」にあるように理性の尊重は、預言の成就とする(血縁絶対主義的な、あるいは王権神授説的な、あるいは日本書紀的な)考え方にかすかに上回ってきたのだと思う。今も、プーチン・トランプ・習近平や安倍・高市的な差別主義者による扇動は力を強めているが、長期で見れば消えていくのは必定であろう。
現在のカテキズムはカテキズムを読もうでこう書かれている。
このフランス語版『カトリック教会のカテキズム』は大歓迎で、受け入れられました。しかし、多くの修正案も寄せられ、80数カ所の訂正が加えられ、1997年にラテン語規範版として発行されました。これが、日本語に翻訳され、2002年7月31日にカトリック中央協議会から出版されました。
カテキズムはある意味で憲法あるいは憲法解釈書であり、それが進歩的に訂正されるのは組織が健全である証とも言えるだろう。
恐らくプロテスタントが生まれなければ、カトリックの腐敗は止まらず、私はカトリック教会は消えていたと思う。
米共和党はもちろん、自民党も(高市統一教会の)現実にきちんと向き合うことができなければ消えるだろう。しかし、消える前の(プーチン・トランプ的な)権力こそが脅威であることを心に留めなければいけない。
カテキズムは、科学的合理主義と教理の差異を埋める活動とも言えるだろう。