ネパールの記憶

ネパールで衝撃的な土石流災害が起きた。Maps and Images Show the Devastation in Nepal’s Floodingが参考になる。恐ろしい災害だが、彼の地の自然の厳しさを考えると、これまでと同じく、災害を乗り越えて、進歩していくに違いないと思っている。

私が初めてネパールに言ったのは、2013年の11月、前職を辞して約半年後で、シンガポール経由でカトマンズに入った。

初めて泊まったのはホテルシャンカーで、タメル地区のそば。

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計画停電はあるし、衛生面での不安もあったが、とても印象の良い場所だった。たまたま取引先の社長の奥様が流暢な日本語を話す方だったこともあり、何かあった時にも何とかなるだろうと思っていたこともあった。

現地でプロジェクトを立ち上げるためにコンペをやった時で、残念ながらプロジェクトは失敗してしまった。途中、2015年にはカトマンズ大地震があって募金を集めて持っていったこともあった。10回程度訪問したのではないかと思う。

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途中からは今はなきホテルキドを定宿にしていたが、JICAの人も使っていて、復興に向けた検討を行っていたことを思い出す。中国やヨーロッパからの支援物資はよく見かけたが、日本の存在はあまり感じられなかった。私の知っている現地の人はかつての日本人の支援をよく知っていて、特に医療分野での貢献に感謝の念をもっていた。現地の人でも結構お腹を壊したりすることは多いそうだが、病院に行けば大丈夫だと考えていたのが印象に残っている。

プロジェクトは主に私の未熟さや見通しの甘さで頓挫してしまったが、数年間の挑戦で個々人の能力に日本人との差異はなく、違うのは主に経験だと感じた。良い仕事があって経験を積めば、ネパールで育った人と日本人で平均を取れば恐らく差はないだろう。もちろん、個人差はあるが、均せば経験格差のほうが影響が大きいように思う。

今回の災害の画像で見る景色は、カトマンズで見た景色と類似性があり、そこに生きている人の生活が想像できる。興味深いのはネパール人という自覚は強くなく、ネワール族や複数のネパール山岳民族が共存していて、カトマンズでは複数の文化が併存していて正月も複数あれば、同じ会社でもある人にとっては平日である人にとっては祝日というケースもあった。競合関係もあるだろうが、多様性の許容度は高いと思った。排外主義を強く感じることはなかった。

一人当たりGDPは日本の約23分の1と貧しいが、人間の持つ可能性に遜色はない。いくら日本の経済力が落ちたとは言え、彼らの可能性を活かせる余地はあるだろう。人口は約3000万人。大規模災害時の現地支援も重要だが、出稼ぎに出て送金して民間の自力復興が進むのは良いのではないかと思う。資金援助と、技術支援があれば、ネパールは氷河治水技術を実践技術として強みにできる日が来るかも知れない。97年をピークに日本のODA予算は半減したが長期的な投資という観点でもまだまだ取り組むべきことは多くあるだろう。個人的には、日本政府が排他的で冷たくなって来ているのが残念でならない。短期的なパフォーマンスすら示さなくなっているというイメージがあるが、心から共に未来を作り上げていくパートナーとして認めあう関係が増えることを期待している。それは、同盟づくりではない。恐らく、ネパールにはニーズもポテンシャルもあるだろう。情けは人の為ならず。長期で見れば愛は強欲を上回る幸せをもたらす。

日本の人にだって、仕事がなくて困っている人はいる。日本の経験が役に立つ分野もあるだろう。

何とか、自分の求める社会保障が得られれば、自分の力が活かせるところで生きていけたら良いと思っている。今のところ、条件的には日本が良いが、将来はどうなるかはわからない。

洪水のニュースに接して、何人かの親しい人たちの顔が浮かんだ。生きていく力が強く感じられる人びとの顔は美しい。化粧に惑わされないようにしたい。それぞれの人が、友人を忘れることなく、それぞれの場所で自分ができることをやれば良い。

※冒頭の画像は2017年10月のこれまで最後のカトマンズ訪問の帰国便からみたエベレスト

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