ビジネスとしての宗教

ビジネスとしての宗教読了。2025年11月12日 発売の新しい本でイギリス生まれの経済学者。日経新聞に書評がでて、題名にも惹かれて借り出した。

書評では「本書の特徴は、宗教をプラットフォームビジネスとして捉える点にある」と書かれている。版元のページでは「宗教の「経営面」に光を当てた、全く新しい画期的論考」と書かれていている。

第一章では「宗教とは、見えない霊との直接的または間接的な交流を中心とする、きわめて多様な人間の営みの総体のことである」と言明している。

序章では、「プラットフォームとは、それなしでは形成されないか、あるいは効果的に機能しない、人と人との相互関係を促進する組織のこと」と定義している。

宗教をキリスト教に限定すれば、プラットフォームは教会となる。教会は組織だから、経済的な持続性がなければ存続できない。つまりビジネスとして成り立たなければ消えてなくなるということだ。日本でも、廃寺、廃神社はいくらでも見つけられるが、欧米でも廃教会は日々増え続けていて、一方で米国の福音派のメガチャーチは表面上は堅調に推移している。メガチャーチはビジネス視点で成功していて、ビジネスセンスのない教会は破産しているというのが現実だ。

新しい本だから最近の事例にも触れられていて、第10章 宗教と政治 では、冒頭に安倍晋三銃撃事件と旧統一教会のことについてかなりのページ数が割かれている。

旧統一教会はプラットフォームビジネスとして大きな成功を収めた実績があり、集金力の強さと信者の行動の統制力は極めて高い。明らかに被害者は出ていて、その被害者が統一教会を機能不能にしなければいけないという強い信念をもって代理標的として安倍氏を暗殺した。もちろん、安倍氏が殺されて良い理由は見つからないが、権力が不正を追求する動きを妨害しつつ、自らの勢力拡大のために統一教会を利用したのは事実だろう。本気の統一教会信者は、法外な献金や無償奉仕によって幸福感を感じる一方で巻き込まれて不幸になった人も現れた。教会が信者とそれ以外を区別して、信者を優遇し、他に対して排斥的になればやがて組織は破綻する。少なくない教会の権力者は、その現実を良く知っている。その対処法は様々だが、法制度に対する権力を有する政治家を抱き込もうと考える人が出てくるのは自然だ。やがて破綻することを予見していても、延命を図ることはできる。

書評で「政治権力との癒着は、長期的に見ると宗教の衰退を招くのだそうだ」とあるが、言い換えればその癒着は延命手段になったとしても持続性を損なうということだろう。

権力は必ず腐る。例外はない。政治権力を維持するために宗教と結託しようとする時、宗教的プラットフォームビジネスにとって有効だと考える教団が呼応する。逆に宗教権力は誘惑して破綻を回避しようとする。冷静に考えれば、そんな真実に向き合わない組織が長期に渡って生き残れるわけがない(ただし、悔い改めの余地はあるとイエスは言った)。書評の「過度な権力を握らず、他団体と競争することこそ宗教が存続するための秘訣だ、と本書はエビデンスをもとに主張する」という記述に共感する。

私は版元のページの「宗教の「経営面」に光を当てた、全く新しい画期的論考」は誇大広告だと思うが、それでも一読の価値はあると思う。

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