今年もNarvaに行ってきた。コロナ以降定例のエストニア・ロシア国境の地である。今年は、ナルバ湾Narva-Jõesuuまで足を伸ばしてきた。エストニア側は非常にきれいな砂浜の海岸で、3km程ロシアに向けて歩いて、フェンスに阻まれた。奥に見える緑色の森はロシア領だと思う。
日本もかつてそういう国だったが、なぜ侵略戦争を起こす国がなくならないのかしばしば考えている。
今年は、ポツダムの広大な王宮庭園を見て、立派だと思うとともにどれだけの犠牲の上にこの庭園は成り立っていたのだろうとも考えさせられた。今も、強くなければ独立を失う現実は終わっていない。でも、それは違うと私は強く思う。
新婚旅行の時は、欧州を電車で動いたが、頻繁に国境をまたぐ度に列車が止められてパスポートチェックのために役人が列車の中でスタンプを押していたのだ。今は、シェンゲン協定で自由に行き来ができ、通貨も多くの国でEUROが使われている。
一番恐ろしいと思うのは、強い国を目指すと宣言すると熱烈に支持してしまう人がどこにでもいることだ。その支持が人殺しと等しいこと、あるいはより罪深い行為であることを自分の身の回りで悲惨が起きない限り気がつけ無い。
異質なものを排除しようとする動きに迎合してはいけない。絶対にいけない。
Narva国境の橋のそばに3本のポールが立っている。写真では旗をクリアに見ることはできないが、手前から、EUの旗、エストニアの旗、そしてNATOの旗が掲げられている。ウクライナ侵攻前(多分国境閉鎖前)にはNATO旗はなかったのだ。国境にNATO旗を掲げるということは、軍事境界線を意味すると考えるのが自然だろう。
日本は海に囲まれているから状況は異なるが、国境に日の丸と旭日旗が掲げられるようになったらと考えたら寒気がする。それは私の感覚では軍国主義の復活にほかならない。
私は、NATO旗が掲げられないNarva国境に戻る日が来ることを願っている。一度掲げてしまうと決着が着くまで降ろせないだろうと思うと悲しい気持ちになる。もちろん、現実の厳しさは承知しているが、私にはとても残念なことに思える。
私は日本にとって、存立危機事態について触れるということは旗を立てることに近いと思っている。現実的には与那国島から約110kmの距離で軍隊が民の自由を奪う形で運用されることがあれば、明らかに脅威で黙って見過ごすことはできないだろう。これまでは公式には想定外の事態だったから見解を述べないという態度を通してきた。一度触れてしまえば取り下げも現実的とは思えない。ただ、万が一の場合でもエストニアの自由広場で大きなエストニア旗とウクライナ旗が並べられているような形で台湾旗が掲げられる日を想像するのは困難だ。日本でもウクライナ旗はよく目にするが、自分たちの問題でもあるという当事者感覚はタリンのそれに遠く及ばない。集団自衛権についても本当に自分たちの自由を守るために協力するという意思が国民にあるとは私には思えない。バルト海の安全を守るための協力関係と、自由で開かれたインド太平洋の提唱にはすごい温度差がある。本当にパートナーとともに平和を築くという思いより、正直言って地域強国をめざすという野心が感じられる。私たちは視野閉塞に陥っていないだろうか。中国外務省が「日本が再軍備を急いでいる」と主張するのは行き過ぎだとは思うが、一笑できる言明だとは思わない。今一度、不戦の誓いを思い出し、世界全体の平和実現のために本当に必要なことが何かを検討すべきだろう。
一度旗が立ってしまうと、守る側で大きなお金が有事対策として積まれることになる。できれば、そんなことよりQOL向上の原資とできた方が良い。リスク対策は必要だが、武力強化の代償は大きい。例えばドイツの徴兵制は実行されれば人権侵害だろう。自由が蝕まれていくし、生産力もその分低下することになる。
基地以外の場所で軍旗は見たくない。いくら相手がわからんチンであったとしても、諦めずに緊張緩和の道を探り続けないといけないと思う。もっと強い知恵が必要だ。力に頼ろうとする声に煽られてはいけないと思う。お金の使い方も乱暴な声に流されてはいけない。侵略者を含め、力に頼る為政者を含め、各国の冷静な対応に期待する。殺人や破壊を正当化することはできない。もちろん、個人の自由を勝手に奪って支配下に置いて良いわけがない。
閉鎖されている国境は、ハードルの高い国境よりさらに哀れだ。開かれていて安全な国境に変わっていくことを期待している。
上の写真は昨年訪問したValga/Valka国境。どうしてNarvaは同じような国境にならないのだろうと思うのだ。決してロシアの民が敵なわけではない。独裁者、あるいは某総理大臣のような愛国者を名乗る扇動者を出してしまうから敵になってしまうのだ。でも、現実を無視するような理想主義だけでも平和を迎えることはできないと思う。あらためて、先の戦争を経て「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」が多数に支持された事実を忘れるべきではないと思う。平和を愛する民は圧倒的多数なのに、扇動者に引きずられてしまうのだ。荒れた風が吹いているが、日本がその風に流されることなく踏みとどまることができれば、大いに世界平和に貢献できると思う。誤ったら死ぬ病の政治家を反面教師にして平和思想が進むことを願っている。
※この記事はFBで書いた内容に加筆訂正したもの。