タリンの街の変化

冒頭の写真は、新Volta通りそばのかつてドア製造工場?跡地の駐車場で、石灰岩の壁はそのままに中は空にして再開発の準備が進んでいる。このあたりは、Voltaスクエア(クオーター)と呼ばれる新しい街が作られている。タリンでは、そこここで開発が進んでいて、この区画はすごく今風のおしゃれな感じで、バルト駅(Tallinn)から1kmで徒歩圏内、近くにトラムもバスもあり利便性が高い。

隣の区画は、The Krulli Quarterで、こちらも絶賛開発中。Wiseのビルが入っていて、Wiseの創業者が関わっている開発事業。ちょっと毛色が違う。

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※画像は、The Krulli Quarterから引用させていただいたもの

テニスコートの右側の細長い建物にWISEが入っている。トラムを挟んで南側は広大な電車の操車場。

2年ほど前に散歩した時は、荒れ果てた工場跡という感じで、怖くはないものの住むところ、働くところというイメージを持てなかった。しかし、今日の散歩では、これからすごく流行りそうな気配の2区画と感じられた。Voltaの方にはラーメン屋もあった。Krulli側のUus-Volta通り沿いは複数のカフェを含む店舗で女性が好みそうな華やかな感じ。石灰石の壁が元々あったものか、作られたものかはわからないが、街の雰囲気を印象付けている。

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その向かい側は住居棟になっていて、新築のおしゃれな感じの日本で言う低層マンションと言った感じ。

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まだ一歩奥に踏み込むと、過去の風景が残っている。

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過去が塗り替えられつつあるが、同時に過去の痕跡が残されるように開発が進んでいるように思えるところに好感が持てる。Krulli側はまだまだこれからといった感じだが、来年来たらきっと美しく生まれ変わっているのだろう。

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エストニアは1991年に再独立、2004年にEU加盟。今の民間の開発はともかく、街のインフラ整備に関わる部分ではEUの資金が使われていて、10年ほどで大きな効果を生み始め、それから民間の開発も大きく進み、今の勢いに繋がっているように思う。日本の再独立は1952年、仮に40年の時差で見たとすると、日本は1991年頃にバブル崩壊を迎えている。こちらでは今のところそういう兆候は感じられないが、再独立後約40年後となる2030年頃には現在の不動産開発はサチっているかもしれない。どの程度この勢いが続くかどうかはわからない。ずっと続くと良いなあ、と願っている。

ちなみに、6、7年前、駅そばのTelliskiviはやや場末感のある地域にLift99がマッチしていて自由な雰囲気を醸し出していた。Boltも入居していたと思うし、世界は俺達が変えて見せるという若いパワーが充満して爆発している感じがあったが、今のタリンは、もっと成熟した感じで、きれいでおしゃれで整っった雰囲気が強くなっている。ひょっとしたら、学生運動の時代の人たちは、学生寮がTelliskivi的な場所だったのかもしれないと思ったりもする。多くの人は整った世界に場所を移していく。良し悪しではなく、時代の流れはやがて変わる。個人としても、社会としても、時代の流れと向かい合わなければいけない。

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