今週も福音のヒントの箇所から学ぶ。今日の箇所は「年間第5主日 (2025/2/9 ルカ5章1-11節)」。3年前の記事がある。マタイ伝4章、マルコ伝1章に並行箇所がある。
福音朗読 ルカ5・1-11
1イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。2イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。3そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。 4話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。5シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。6そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。 7そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。 8これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。9とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。10シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」 11そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
福音のヒント(5)でヨハネ伝21章に触れている。
イエス、七人の弟子に現れる
1 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。2 シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。3 シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。5 イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。6 イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。7 イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。8 ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。9 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。10 イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。11 シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。12 イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。13 イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。14 イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
非常に良く似ている。ヨハネによる福音書は共観福音書より後に書かれたのはほぼ間違いはなく、時系列に整合性はない。ヨハネ伝21章はルカ伝の記事を見て書いたと考えて良いと思う。
マタイ伝、マルコ伝の「四人の漁師を弟子にする」という記事では、夜通しの漁の話も豊漁の話も書かれていない。そういう伝承があったのかもしれないが、恐らく史実はなかっただろう。マタイ伝、マルコ伝は弟子または弟子に極めて近かった人が書いているのに対して、ルカ伝はイエスと一緒にいたわけではないパウロに近い人物が執筆していると考えられていて、マタイ伝、マルコ伝をなぞりながらも、かなり創作が含まれているように感じられる。
マルコ伝では、この話の直後にカファルナウムでイエスが説教し、汚れた霊を追い出す治癒奇跡の話につながっていて、マタイ伝でも「おびただしい病人をいやす」という記事につながっている。ルカ伝でも「思い皮膚病を患っている人をいやす」という記事につながっている。
ヨハネ伝ではカナの婚礼が最初の奇跡としていている。恐らく史実としては、洗礼者ヨハネは広く知られていた存在で、洗礼者ヨハネの逮捕は重大ニュースとしてガリラヤにも伝わっていた、そしてイエスはヨハネ教団のホープとして認識されていたから、シナゴーグでの説教の機会が与えられていた、その説教のインパクトが大きく、治癒奇跡も散見されたので、イエスこそがメシアだという評判が広まったというところではないかと私は思う。
ただ、イエスがどのような説教を行ったかは、不思議なことに明確には記録されていない。旧約聖書の解釈を行ったと思われるので、どんな説教を行ったのか読んでみたいと思うが、かなうことはない。もちろん、山上の垂訓などシナゴーグ外での説教は多く残されている。そこから、思想を学ぶことはできるとは言え、旧約聖書をどう読んでいたかも知りたいと思う。
治癒奇跡は、現代でも起こる。理由がわからないのに重病が寛解することはある。イエスの治癒奇跡があったのは間違いないだろう。説教の力と治癒奇跡の両輪でイエスの評判が向上したのだと思う。一方、イエスの発言だって外す、民衆の非難を招いたものもあったように読める。生きている間のイエス、人間イエスは一人の人間であったと思うしか無い。ただ、聖霊は共にあった。
ルカ伝では弟子たちは奇跡を見て信じたストーリーになっているが、マタイ伝、マルコ伝では誘われただけでついて行っている。とても不思議なことだ。しかし、不思議なことは現代でも起きる。治癒奇跡によらず、なぜか突然信仰告白をしてしまうのだ。もちろん自分の意思で宣誓するのだが、常識的に考えれば宣誓できることが明らかに異常である。
初期の弟子がイエスに従ったのも奇跡的な出来事だが、奇跡は現代でも起きているということだ。