介護保険被保険者証が送られてきた。後日、納入通知書が送られてくるとある。従来の社会保険とは異なり、自分で区に納めなければいけないとある。その後は年金天引きになるようだ。同窓生から聞いていたから驚きはなかったが、デジタルガバメントは周回遅れどころではないと思わされた。あれだけ健康保険証のマイナンバーカード化を進めているのに、冒頭画像にあるように大昔に記憶のある透明カバーつきの紙の保険証なのである。恐らく、若い人はプラスチックカードは知っていても、かつて健康保険証がこんな紙だったことは知らないだろう。有効期限はなく、要介護認定申請をするとき、介護サービス計画を作成するとき、介護サービスを利用するときに必要なのだそうだ。
今日からいろいろなことが変わる。公共施設の入場料が割引される。老人に外出させて健康年齢を上げて医療コストを抑えるのが目的の一つとはいえ、制度があるのであれば利用させていただこうと思う。公園や美術館は、一人の訪問にかかる保守費用は大きくないのだろう。
肺炎球菌ワクチンの案内も来た。新型コロナ予防接種も今日以降無償になる。
昨年くらいから働き方の見直しを始めている。これまで自分の強みとしてきた部分の競争力が落ちてきて、引き合いが減ってきているのは認めないわけにはいかない。恐らく、そこで頑張っても巻き返しは難しいだろう。いつか、本当に仕事がなくなる日が来るのだろうと覚悟している。私は、働ける限りずっと働こうと思っているから、どんなところで役に立てる場所があるのかを探さないといけない。同時に、自分がやりたいと思うこと、例えば、オープンソースコミュニティへの貢献とか、エストニアやネパールのよう等外国との関わりとか、そういったことのための活動費は必要になる。もう、大儲けしたいとは思っていないが、年金だけでは足りない。人の役に立って対価を得られるような仕事と、活動の自由を守るための執務条件のバランスを考えていかなければならない。
世界を見回していると、国も案外当てにならないことに気付かされる。ルールを守って獲得した年金受給権だって100%安泰とは言えない。国際社会の中で、日本が役に立つアウトプットを出し、収支を合わせられなければやがて破綻する。政府を責めても良いが、主権在民なのだから、権利の背景には責任がある。大きな話は自分には関係ないと思うべきではないだろう。高齢化が進んでいる日本にとって、世界で認められるためには何が必要なのか。個々人でできることは何なのか、次世代の人々に残せることはあるだろうかと考えている。
私が生きてきた時代は手本はアメリカだったと思う。ついで欧州、特にイギリスだったように思う。しかし、改めて現実を見直すと経済的にも軍事的にも米国一強と言われているが、激しい格差社会で合理的な判断より感情が優先される傾向が高まっている。イギリスのBrexitは自国第一主義の魁だったが、少なくとも輝かしい成果は得られていないように思う。新自由主義は騙されるやつが悪いという考え方に近いので、弱者切り捨てに向かう。日本は高齢化で弱者比率はさらに高まるから、弱者切り捨てで冷遇すればむしろ社会コストが高く付くだろう。新社会人も弱者、母親も弱者で、大企業の賃上げで若者の格差が拡大すれば、流動性は失われ、全体としては衰退または危険な英雄待望論に向かってしまうだろう。米英に学ぶべきこともたくさんあるが、もはや手本にすることはできない。むしろ、別の道を模索していくべきだろう。個人的には、護憲が正解なのではないかと思っている。高齢化社会が武力など力に頼って自分を守ろうとするのは現実的ではない。老いた国であることを認めた上で、貢献できることを模索するのが適当だろう。老人を食い物にしようとする詐欺師がいるように、弱さにつけこむ動きもあろう。生き残るために知恵を絞る必要はある。しかし、ちょっと引いてみれば、やはり国際社会への貢献が大きく、世界征服のような野心がないと評価される尊敬される隣人になることが望ましいと思う。今後はそうそう金を出すことはできなくなるだろうから、知恵で勝負しなければいけない。
ちょっと個人の行く末と重なる感じがしている。
ともあれ、65歳になった。新たな1年、制度的には高齢者としてのひょっとしたら長く続く新たな人生がスタートした。楽しんで進んで行きたい。