今日、聖餐式で讃美歌21 81番の解説でマラナ・タの話があった。黙示録の最後の部分に由来するという話だったのだがちょっと気になって調べてみたのでメモ。この1コリ16:22でパウロがアラム語のギリシャ語読みで挨拶文として書いた言葉。Strongsコンコルダンスではこの箇所しかないが、英訳した主よ来たりませという意味の言葉は黙示録22:20と良く似ていて、biblehubではこの箇所からクロスリファレンスで1コリが示されている。
アラム語は現代で言えば英語のような存在で、多文化コミュニケーションのためのオリエント共通語だったようだ。ヘブライ語もアラム語の方言、あるいは派生言語であったらしい。つい、旧約聖書を世界の中心において考えてしまいがちだが、実際には辺境の自称選民の書物であり言語である。新約聖書の時代にはギリシャ語に取って代わられ、現代では、ゲルマン系言語 、 ラテン系言語 、 スラブ系言語といったヨーロッパ言語に取って代わられている。
言葉が通じないと様々な誤解が生じ、時には人命に関わる対立を生じさせる。マラナ・タ(主よ来たりませ)は、マイノリティだったキリスト教徒の祈りの言葉でもあり、パウロの挨拶にも排他性が感じられる。しかし、本来は人権の確立の願いで、人権を軽んじる行為を呪う思いが混入したのではないかと考えている。