新生活200週目 - 「五千人に食べ物を与える」の前

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今週も福音のヒントの箇所から学ぶ。今日の箇所は「年間第16主日 (2024/7/21 マルコ6章30-34節)」。3年前の記事がある。新共同訳では「五千人に食べ物を与える」という見出しがついているが、今日の箇所は「五千人に食べ物を与える」奇跡の前の部分で、ここで先週の箇所で2人づつ派遣された弟子たちに対して使徒という言葉が用いられている。

福音朗読 マルコ6・30-34

 30〔そのとき、〕使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。31イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。32そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。33ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。34イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。

マルコ伝では3章13節からの「十二人を選ぶ」で14節で「十二人を任命し、使徒と名付けられた」とある。Strongsコンコルダスでは使徒ἀπόστολος (apostolos)という言葉は80回カウントされている。マルコ伝ではこの2箇所のみ、マタイ伝10:2、ルカ伝は6:13ほか6箇所、ヨハネ伝では13章16節で新共同訳では「遣わされた者」と訳されている。英語でもmessengerとなっていて、他の箇所であてられているapostlesとは違う単語があてられている。messengerは自分の意思とは無関係に言葉を取り次ぐのが使命で、使徒をイエスのmessengerと位置づけると違う像が結んでくる。

messenger個人には権威はない。あくまでその権威はmessengerを遣わした者に属する。もちろん、messengerが伝える言葉は(正しく伝えられれば)遣わした者の言葉そのものだから、それは権威ある言葉となる。しかし、messengerそのものにはその権威はない。遣わされた者には感謝と敬意を払うべきだが、それは遣わされた者に属する権威ではない。

イエスはこの箇所で遣わされた者たちに対して、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言っている。messengerとして働くことは重い仕事で休息を必要とするものだと解してよいだろう。食事をする時間もないほど物理的に忙しかったということもあるかと思うが、人里離れた所での心の休息が必要な職務だということだ。

ちなみに使徒行伝では28回この言葉が使われている。コリント前後書でも多用されている。パウロは努めてmessenger的であろうとしたように思われ、権威は自分に属するものではないと言明しているように読める。

一方で、使徒も人間だし、牧師であれ信徒であれ人間だから、messengerとして働いて成果が出るとその原因は自分にあると勘違いする、自分に権威があると勘違いするリスクがある。自分が入るとmessengerとして伝えるべき言葉あるいは取るべき行動に自分というバイアスが混じり捻れてしまう。透明でなければならない。また遣わされた者を不用意に崇拝して道を踏み外させてはいけないのである。

イエスがいれば権威はイエスに属することは明らかだから道を踏み外す可能性は低い。さらに、人間イエスは権威は自分を遣わした父なる神に属すると言明している。イエスは人間でありながらも極めて透明であったと言ってよいだろう。その神の言葉は、時代を越えて福音として現代においてもなお効果を発揮している。メッセージを受け取る側としても、メッセージを伝える存在としても、静かに熱く求め、そして疲れすぎないように必要な休息は取るべきだろう。

イエスも疲れなかったはずはない。疲れていても「飼い主のいない羊のような有様」を見るとメッセージを取り次がなければいけないと思ったのではないかと思う。人間イエスもmessengerだったと言えるだろう。

福音のヒント(1)で「遣わされた者の使命は「神の国を宣べ伝え、悪霊を追い出す」こと」とある。福音を伝えることと善き業を行うことで、行動が伴うことが求められているという解釈だ。私も、その解釈にそのとおりだと思う。

一人ひとりが行うことができる善き業は与えられたタレントによって違うし一つ一つは小さな業でしか無いが、それが積み重なれば社会が変わっていく。

置いてけぼりにされたと感じる民に光を当てることは御心に叶うだろう。それがアメリカ・ファーストに向かうのは別の置いてけぼりにされる民を生むので感心しないが、置いてけぼりにされたと感じている民を無視するわけにはいかない。個々人は自立を目指さないわけにはいかないが、社会が置いてけぼりになると感じる人に手を差し伸べるようであることが望ましい。自分でできる範囲の小さなことでもやれることをやったら良い。

※画像はJames Tissot: The Exhortation to the Apostles