砧教会正常化の道は遠い

hagi に投稿

先週、公開書簡で役員会に以下の請願を提出したが、今日の金井美彦による役員会議事報告で、審議された報告すらなかったので、起立して説明を求めた。

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2に関しては、実質的にゼロ回答である。提示された証拠に問題点は感じられないとした上で、総会決議違反はなかったと言い切る意味不明の政治家答弁だ。証拠は違反を明示しているが、違反はなかったとはこれ如何に。紛争がおさめられるわけがない。

冒頭の裁判で提示された証拠書類メールを読めば、2020年6月6日(事件前日)の時点で、佐分利正彦のメールは、砧教会は再び会堂での開催を通知したものを訂正していないので、開けなければいけないという趣旨にしか読めない。つまり、意思をもって会堂を開けたことになる。金井美彦は、「来ていただいた方は、入っていただく他ない」と応じているのでやはり意思をもって会堂を開けたことになる。書記からの疑義が出ているので気が重いとしているが、メールでの臨時役員会を開くこともなく2名の独断で会堂礼拝を開催している。また、佐分利正彦は来週から教会学校を始めると生徒に通知しており、会堂閉鎖を解除する意図があったことは明白である。

まず、砧教会員、役員は冒頭のメールを読んで、意図的な会堂閉鎖の解除、すなわち総会決議違反があったかなかったかを誠実に判断していただきたい。少なくとも、私の身の回りの数人は、意図的な会堂開催が画策されていると読み、佐分利がけしかけ、金井が乗ったと理解した。それらの人はすでに教会を離れている。砧教会は見捨てられたのだ。私も一度は金井美彦を見捨てたので、教区分担金の軽減を意図して別帳会員移行を申請した。

私がBlogに書くのは納得がいかないことを個人的に書き留めているわけで、それが検索等にひっかかり砧教会への良くない評判につながっているのは承知している。しかし、砧教会に問題がないのであれば、正しく晴らせば良いだけだ。私は、自分に不利な情報があっても隠蔽するようなことはしないし、砧教会が真実に忠実であることを心より願っている。黙ってしまえば忘れ去られてしまうので決して黙することはない。結果として不実を庇い立てする人が巻き添えを食らうかも知れないが、ある意味でそれは自己責任である。

本日の質疑でも、会員に不愉快な思いをさせたことは申し訳ないと思うが、どう考えても現在の砧教会は金井美彦と佐分利正彦が総会決議違反をしたという事実を有耶無耶にしようとしている状況にある。比較的新しい会員から、萩原が砧教会を愛しているのは伝わっているが、愛し方がずれてきているのではないかとコメントがあった。各会員は善良で心を痛めていて萩原を排除する意図はないと思っているように感じている。しかし、残念ながらその態度も砧教会の評判を損ねることにつながってしまうのだ。なぜなら、私は事実隠蔽行為があったと思っている間は声を上げるしかないからである。ぜひ、政治に走らず根本解決を目指していただきたい。

意図的に会堂を開けたのであれば、開けなかったと言い張るのは嘘の証言を行っていることになる。

総会決議にだって間違いは起きる。遵守行動にも間違いは起きる。それはしょうがないことだ。しかし、嘘の証言で決議違反の事実のもみ消しを行ってしまったら、それは真実一路を旨とする教会の存立意義を壊してしまう。ましてや、牧師がそれをやったら教会は終わりだと考えるべきだ。私は現在の金井美彦は牧師として不適格だと考えている。

まず、本当に何があったのか、決議違反はなかったとする合理的な根拠を文書化して萩原を納得させ、萩原がBlogに書こうがどこに送ろうが問題ないようにすれば全ては丸くおさまるだろう。ただ、約4年が経過しても、これまで核心に触れることなく、言い逃れに右往左往しているのでそんな文書を書くことはできないのだろうと私は理解している。

まず金井、佐分利は総会決議違反に反して会堂再開を意図的に行ったという事実を認め、萩原の内部告発は間違っていなかったことを認め、関連告発を約4年間にわたって握りつぶしてきたことを公式に書面で謝罪し、背信行為について会員に対して許しを求めるのが筋だ。そんなことになれば、金井、佐分利をかばってきた人たちはショックだろうが、事実から目を背けていても問題が解決することはない。他にも多々指摘できる問題はあるが、まずは冒頭のメールに対する申開きを衆人環視のもとで萩原に行うところから始めても良い。牧師や仲良し集団を守るという視点ではなく、真実に向かうという視点で取り組んでいただきたい。私は真実に従う。私は、誰かに自分についてほしいと願っているわけではない。真実を求め続けていればやがて道が拓けることは信じている。必要な戦いは戦う。

会員各位は、萩原が攻撃しないように期待するのではなく、真実を追求していただきたい。疑惑が晴れない限り萩原は声を上げ続けざるをえない。なぜなら、真実を求める声を上げないということは、自らが道を外してしまうことにほかならないからだ。もとを辿れば意図的に会堂開催を行った金井、佐分利が砧教会の評判を下げる元凶であることは明らかだ。砧教会への愛が間違った方向に向かっているという指摘は傾聴に値すると思っているが、紛争を抑えるために事実を曲げて黙することが良いこととはとても思えない。

私は、今日の金井美彦の応対を見ている限り、できるだけ誠実に対応しようとしている意思は感じている。しかし、事件の原点には決して触れない。佐分利正彦は何も言わなかった。何度も繰り返し求めているが、どう考えても意図的に会堂再開を行ったとしか読めない冒頭のメールを誰にでも納得できる形で説明、明文化していただきたいと願っている。

会堂再開はなかったと最初に言い切ったのは佐分利正彦である。自分が出したメールと発言の整合性はない。なぜ、彼の偽証をかばおうとする人がいるのか私には理解できない。誰もが納得できる何があったのかという事実の整理なくしては、前を向いて共に歩む砧教会を形作ることはできないだろう。真実一路を旨とするのであれば、厳しい現実とも向かい合わねばならない。仲良しは望ましいが、不実の上に成り立つ仲良しは正常な姿とは言えない。

ある人は、元は小さな問題だと言った。私もそう思う。元は金井、佐分利の小さな嘘でしかない。そこで、約束をやぶりました、すみませんと言っていれば、今の悪夢のような現実は起きなかっただろう。金井が僕が言えばみんなついてくるんですよと私に言い放ったことを私は生涯忘れることはないだろう。悪夢の原点は2020年6月7日にある。目をそらさずに原点に戻って、出直すのが結局は近道だと私は信じている。総会決議からその日までに何があったかについてはまだ謎が残っている。

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