「差別」のしくみを読了した。差別という言葉が何を意味するのか木村草太氏の考えに触れてみたかったからだ。
アメリカの解釈や日本での判例に対する分析や意見が沢山収録されている。302ページという短さに対して盛りだくさんで単純な結論は提示されていない。あとがきに
「差別のしくみを分析し、どこにその悪性があるのかを解明し、問題解決の糸口を発見する」ことに努めた。
とあるが、読者が自分で考えるように構成されている。木村氏の意見は随所に盛り込まれているが、同じ事象であっても光の当て方で見え方が違ってくる。同性婚や夫婦別姓の問題も複数ある差別判定の視点で見てみるのも興味深い。
一番印象に残ったのは、P213で
日本での部落差別解消のための教育の成果を考えると、「差別はいけない」という教育に大きな効果があるのは事実だろう。
と書いてあったところだ。男女同権についても一定の成果が出ていると思う。ただし、裏返せば様々な教育・教科書に関する問題があり、恣意的な価値づけを進める動きが力をもてば、10年、20年の単位で被害者を生むことになる。
日本の家制度の史実に基づく考察も興味深かった。伝統的な価値観というのは保守派がよく使うが、実際には権限の独占を志向するケースが多いと思う。事実に照らすと正しくない言説が多く、歴史の改ざんに手をつけることもある。
本書では宗教について強く言及されていない。一方、例えば旧約聖書はバビロン捕囚時期に文書化されていて、正史化されているものの、中身を分析的に見れば権力の正当化のための恣意的な記述が散見される。価値づけ推進文書だ。一度価値づけが正当化されると、それに建て増しを行って正しいことが狭くなっていく。キリスト教は、正統の追求では人は幸せになれないという現実が生んだ新興宗教と取ることもできるだろう。それでも、教会組織の大型化とともに同じ過ちを繰り返し行ってきた。アメリカの福音派のように教条的に価値づけを行う勢力もある。悪意がなく、個々人が善良であっても、伝統的価値観の強制は被害者を生む。ロシア正教はウクライナ侵攻を正しい戦争と位置づけ、ネタニエフ政権はガザの虐殺を正しい反撃と位置づけている。どちらも多くの犠牲者を生み出している。しかし、少なくない人は、どちらが正しいという論争より、今現実に起きている被害の拡大を止めるべきだと考えている。反プーチンや反ネタニエフは人権が劣後されて良いと言っているわけで明らかに差別的だ。しかし、積極的な支持者は確実にいる。一朝一夕には現実は変わらない。被差別の経験は長く残る。被差別の経験をつついて権力を掌握しようとする人も繰り返し現れる。
本書を読むまでは「差別」の定義は今でも不完全ながら可能で、やがて完全性が上がっていくだろうと楽観的に考えていたが、むしろその悪性による被害の最小化を目指す方が現実的だと思うように変わった。
アファーマティブ・アクションをどう考えるのも参考になる。計測可能な基準にバイアスをかけてしまうと、従来の多数派の中で割りを食う人がでる。一方で、多数派の伝統的な価値観が犠牲者を生んでいるのであれば権力を有する判断層の構成の是正は望ましいこととなる。単純な判断はできない。
健全な民主主義は、自分は割りを食っている側であるという考えにとどまることなく道を探していかないといけないのだろう。
※冒頭の画像は朝日新聞出版社のサイトから引用させていただいたもの