今日の砧教会の説教「神の約束とヤコブの旅」は面白かった。ヤコブの生涯を短くまとめて解説した金井氏の能力の高さは称賛に値すると思う。ただ、残念ながらメッセージ性は感じられなかった。
帰宅後Wikipedia英語版のヤコブの記述をGoogle翻訳で読むと、ほぼ本日の説教の内容相当のことが書いてあった。今日の箇所の創世記28章のヤコブの夢に関する記述もある。Wikipediaの記述ではイスラム教の解釈もあり、ヤコブの12人の息子たちが、ムスリムであると告白したことになっている。コーランにも出てきている。コーランはキリストよりずっと後に編纂されており、正史の書き換えが行われていると考えればよいだろう。
ちなみに、Wikipediaには
Scholars have taken a mixed view as to Jacob's historicity, with archaeology so far producing no evidence for his existence.
と書かれている。実在の人物だったかはわからない。今日の説教でも他の聖書の箇所との類似点に触れて作られた話であるという前提に立っていたように思われる。恐らく、史実そのものではないだろう。
今日の説教では血統への執着に注目していた。血に正統性を求めれば自然と選民思想につながっていく。作られた話という文脈では愛国心の高揚と正統な権力継承者への服従が求められていく。その結末はガザによく現れている。恐らく、国家としてのイスラエルはやがて独立を失うことになるだろう。恐ろしいのは、国を失っても選民思想は消えないことだ。繰り返し悲劇を生み続けてしまうのが歴史の事実と考えて良い。
洗礼者ヨハネは
『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる
と説いたとマタイ伝3章に書かれている。選民思想の否定そのものである。
モーセ五書はバビロン捕囚の時期に選民思想を高揚するために意図的に編集された正史と考えるべきで、それを前提にしてそこから人々を開放したイエスの功績に焦点をあてることで初めてメッセージ性を発揮できるのではないかと思った。
蛇足になるが、選民思想の呪縛からの開放が自由の源泉となる。しかし、自由を求めることへの誇りが新たな選民思想の罠となるから世の中はままならないと思うのである。
※冒頭の画像は、Wikipedia英語版のヤコブから引用したWilliam Blake: Jacob's Ladder。