新生活183週目 - 「ピラトから尋問される~イエスの死」

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今週も福音のヒントの箇所から学ぶ。今日の箇所は「受難の主日 (2024/3/24 マルコ15章1-39節)」。3年前の記事がある。復活節の直前の主日。

福音朗読 マルコ15・1-39

 1夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。2ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。3そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。4ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」5しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。6ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。7さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。8群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。9そこで、ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言った。10祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。11祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。12そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。13群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」14ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。15ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。16兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。17そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、18「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。19また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。20このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。21そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。22そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。23没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。24それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、/その服を分け合った、/だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。25イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。26罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。 27また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。29そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、30十字架から降りて自分を救ってみろ。」31同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。32メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。33昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。34三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。35そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。36ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。37しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。38すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。39百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

あらためてこの箇所を読むと、あまりに早い展開に驚かされる。本当にこんなに簡単に人を死刑にしたり、死刑囚に恩赦を与えたりしたのだろうか。現代でも独裁政権下では、無茶なことが起きるが、なぜこんなことができるのかは不思議に思う。ソ連邦の時代の東欧を想起すると、虎の威を借る狐が簡単に人の命を扱った史実に思い当たることが無いわけではない。ローマという統治機構がどういうものだったかを考えさせられる物語でもある。ローマ遺跡には圧倒されるが、その影に不利を被っていた人々がいたことは間違いない。福音書ではユダヤの指導者が民を恐れていたという記述がしばしば出てくる。権力者は馬鹿ではないから風向きが変われば権力などたちどころに失われることを知っている。民の覚醒を恐れる思いは、ローマから派遣されていたピラトもユダヤ指導部も同じだっただろう。お互いの利害が一致して起きた事象と考えるのが妥当な気がする。福音のヒント(1)で「イエスは最終的にローマ帝国に対する反逆者=政治犯として十字架刑に処せられました」とある。

ちなみに、この箇所の時系列と福音書間の記述の比較はWikipediaのPilate's courtにわかりやすくまとめられている。

ピラトは、ユダヤ属州の首都カイサリア・マリティマを住まいとしていたはずで、エルサレムからは100km近く離れている。この時期にエルサレムに来ていたには何か理由があっただろう。過越の祭りがあるからというのは理由としては弱いと思う。イエス派によるクーデターの恐れがあるという情報がもたらされていて軍隊を動かしたという可能性もあるかもしれない。カイサリア・マリティマはヘロデ大王が開発し、ローマ帝国に接収された場所。ヘロデ大王はこの時期には死去していて後継にはヘロデ・アンティパスが指名されている。ローカル・ガバメントはサンヘドリン。サンヘドリンから見れば、ヘロデ・アンティパスは傀儡勢力だし、ユダヤ属州の統治はローマの兵力が頑強だったとしても相当な不安定要素を含んでいたと思う。66年にはユダヤ・ローマ戦争が起きている。イエスの時代にも反ローマの感情はあったと思われる。イエスはサンヘドリンと対立関係にあったわけで、イエスを担いでクーデターを成功させ、ヘロデ・アンティパスを追放してサンヘドリンを改組しようと考えた人はいただろう。熱心党のシモンはその一人だったかも知れない。

国内から見れば、ヘロデ大王の残した宮殿とヘロデ・アンティパスは強大な権力の象徴であるが、国外から見れば、実行力のない虚構。しかし、ユダヤ属州の安定の源となる。カヤパは、その時期にローマ帝国に対する独立活動を行っても勝ち目はないと考えていて、面白くなくても従属による体制の維持が現実的と考えていただろう。政治的には現実的、中道保守的な選択となる。リスク情報をピラトに伝えイエス派を潰すことがユダヤの国益と考えていたと思う。カヤパのシナリオ通りに進んだかどうかはわからないが、それにピラトが乗ったのだと思う。イエス派はイエス個人に権威が集約されていたから、イエスを殺せば一件落着に見える。そして、短期的には政治的に正しい選択だったと思う。逆に言えば、彼らは合理的な選択に追い込まれてイエスを殺す側に立つことになってしまったと見ることもできる。私達一人ひとりは、類似の事象(忖度)に日々遭遇している。忖度しない人生は辛く社会的に生き残ることは困難である。

イエスには逃げ道はない。ただ、最後の晩餐〜ゲッセマネの祈りのあたりで覚悟は決まっていたように見える。彼、人間イエスは自分を神と位置づけていたわけではなく、神に従うものと位置づけていて、殺されても終わらないと信じていたのだろう。不思議なことで、どの程度確信していたかわからないが、その後のことをある程度知っていたとしか思えない。

福音のヒント(3)で詩編22編に触れている。ヘブライ語とギリシャ語の違いがあるので完全一致ではないが、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」は22編2節(英語聖書では1節)の前半と一致している。

【指揮者によって。「暁の雌鹿」に合わせて。賛歌。ダビデの詩。
2 わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。
3 わたしの神よ/昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。
4 だがあなたは、聖所にいまし/イスラエルの賛美を受ける方。
5 わたしたちの先祖はあなたに依り頼み/依り頼んで、救われて来た。
6 助けを求めてあなたに叫び、救い出され/あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。
7 わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。
8 わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い/唇を突き出し、頭を振る。
9 「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら/助けてくださるだろう。」
10 わたしを母の胎から取り出し/その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。
11 母がわたしをみごもったときから/わたしはあなたにすがってきました。母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。
12 わたしを遠く離れないでください/苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。
13 雄牛が群がってわたしを囲み/バシャンの猛牛がわたしに迫る。
14 餌食を前にした獅子のようにうなり/牙をむいてわたしに襲いかかる者がいる。
15 わたしは水となって注ぎ出され/骨はことごとくはずれ/心は胸の中で蝋のように溶ける。
16 口は渇いて素焼きのかけらとなり/舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。
17 犬どもがわたしを取り囲み/さいなむ者が群がってわたしを囲み/獅子のようにわたしの手足を砕く。
18 骨が数えられる程になったわたしのからだを/彼らはさらしものにして眺め
19 わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。
20 主よ、あなただけは/わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ/今すぐにわたしを助けてください。
21 わたしの魂を剣から救い出し/わたしの身を犬どもから救い出してください。
22 獅子の口、雄牛の角からわたしを救い/わたしに答えてください。
23 わたしは兄弟たちに御名を語り伝え/集会の中であなたを賛美します。
24 主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。
25 主は貧しい人の苦しみを/決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく/助けを求める叫びを聞いてくださいます。
26 それゆえ、わたしは大いなる集会で/あなたに賛美をささげ/神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。
27 貧しい人は食べて満ち足り/主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。
28 地の果てまで/すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り/国々の民が御前にひれ伏しますように。
29 王権は主にあり、主は国々を治められます。
30 命に溢れてこの地に住む者はことごとく/主にひれ伏し/塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。わたしの魂は必ず命を得
31 子孫は神に仕え/主のことを来るべき代に語り伝え/成し遂げてくださった恵みの御業を/民の末に告げ知らせるでしょう。

31節まで通しで読めば、人間イエスがこれで終わりでないことを知っていたと宣言しているように読める。

実際に、終わりではなかった。直接接点のあった弟子たちよりは、はるか遠方のキリキア属州のパウロが後日直接メッセージを受け取って人生が変わったことの方が大きい。復活は、現実を見据えた保守的な判断(保身)は自由を求める思いに長い目で見れば劣後するということの徴と取ることもできる。

ピラトやヘロデ、カヤパやサンヘドリンを悪人に見立てることはできるが、真の自由を目指す動きに抗うことはできないと信じる方が良い。人間を救われる側、滅びる側に位置づけるのではなく、自分が真の自由を目指すということはどういうことかを問い続けることが求められている。そして、求められる物事は一人ひとり違う。「よいことは必ず出来る」という立場は希望的なものです、と羽仁もと子が書いている。いかに困難であっても「よいことは必ず出来る」と信じるのが良い。

復活の信仰はその思いを力づけてくれるものであり、非常識の壁を越えて人々に働く力でもある。

※画像は、Wikimediaから引用したカエサリア・マリティマの廃墟。ヘロデ大王がユダヤの独立を保っていた頃に支配下にあった地中海沿いの街。イエスが生まれた時よりそれほど遠くない時期まで独立は保たれていたらしい。