なぜ人は自分が差別する人に堕ちていることに気が付けないのか

砧教会の金井義彦氏は好んで「私達クリスチャンは」という表現を使う。言い換えれば、クリスチャンでないものを見下しているのだ。人としてあってはならない態度だと私は思っている。今日は、葬式は上げるが、信者でなければ単に煙になるだけで、天国に行くと言ってはいけないと説教で述べていた。自分が閻魔大王になったかのような言動である。自分を天国に行ける側に分類している時点で宗教指導者として終わっている。2020年の3月の総会決議の時までは極めて謙虚で、事実を重んじる人だったのだが、あの2020年6月7日までに何かがあって、正気を失ってしまったのだと思う。

私が、6月7日の前週に彼と電話して聞いた言葉の中で、印象に残っているのは「だって佐分利さんがやれって言うんですよ」という発言と、「萩原さん、これは政治です」と言い切ったところだ。事実を交渉でどうこうできると考えている時点で腐っている。まさに独裁者の所業にほかならない。そのまま腐り続けて今日の説教に至ったのだろう。まあ、率直に言って悪魔に種を撒かれたとしか解釈のしようがない。もともと金井氏は誠実な人であり、今も誠実であろうと務めていると見ている。しかし、自分が堕ちたことには気づくことができない。

ヨハネ伝16章の解釈は面白かった。「ヨハネ伝のイエスは」という表現が彼の研究者としての彼の誠実性を表していると思う。はっきりと言い切りはしないが、彼はヨハネ伝の記事は史実そのものではないと考えているのは明らかだ。もちろん、イエスは福音書の数だけ存在するわけではない。ヨハネ伝のイエスはヨハネ伝の解釈で書かれたイエスはという意味で、その危うさも、宣教上の紅葉も十分に理解しているのだと思う。かなりあけすけに言ってしまうところには好感するが、信徒でないものに懲罰的な書き方をすることで求道者を脅迫する流れにのってしまったら笑えない。

組織は、一度頭が腐ると再生は難しい。忖度側に回った役員は全員交代させなければ腐敗を引きずることになるだろう。

イースター献金を4月に回せといった、会計操作のようなことを公式に会員に求めたり、その担当役員に将来の取りまとめをさせるなど愚の骨頂である。金井美彦氏が悔い改めることができないのであれば、早々に追放したほうが、教会の将来のためだと思う。

無論、彼の才能は高く評価しているし、再生のチャンスは十分にあると思っている。しかし、腐った牧師が腐ったままであれば教会を任せてはいけない。まもなく膿が溜まり始めて4年になる。ずいぶん重くなり、伝道活動を阻害している。思い切った外科手術が必要だと思う。

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