新生活171週目 - 「神殿で献げられる」

 今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「聖家族 (2023/12/31 ルカ2章22-40節)」。並行箇所はない。

福音朗読 ルカ2・22-40

 22モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は〔イエス〕を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。23それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。24また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
 25そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。26そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。27シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。28シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
29「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
  この僕を安らかに去らせてくださいます。
 30わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
 31これは万民のために整えてくださった救いで、
 32異邦人を照らす啓示の光、
  あなたの民イスラエルの誉れです。」
 33父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。34シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。35――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
 36また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、37夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、38そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
 39親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。40幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

英語の聖書では23節は()で囲まれている。ちょっと検索したレベルではこのカッコの意味は分からなかった。

聖家族の祝日はカトリックの教会暦にはあるが日本基督教団の教会暦には出てこない。福音のヒントの教会暦の箇所には「伝統的にイエス、マリア、ヨセフの家族は「聖家族」と呼ばれ、わたしたちの家庭の模範とされてきました」とある。私にはピンとこない。マルコ伝はイエスの受洗以降のことが書いてあるので、生誕も子供の時期のことも出てこない。だから、B年は選ぶべき聖書箇所が無いのだろう。

ルカ伝の筆者、編集者はどうやってこの話を記録したのだろうか?現代とは違って、写真も無いから聞き取りで資料をまとめていくしか無いだろう。公生涯前のイエスをよく知っている人はそれほど多くないはずで、今日の記事にあるようなシーンを見て、しかもそれをイエスと結びつけて記憶している人は実在しただろうか。一番ありそうなのはマリアへのインタビューだろう。その証言の裏を取るためにシメオンを調べたりアンナを調べたりして書いたのかも知れない。イエス伝を執筆する頃には恐らくシメオンもアンナもこの世にはいなかっただろうから、どこまでが事実だったかはわからない。もしマリアへの聞き取りだとしてもマリアの記憶がどの程度確からしいかもわからない。公生涯のイエスは多くの目で見られているだろうから、異なる証言があったとしても証言の量から再現できる範囲は広いだろう。一方、公生涯前のイエスに注目していた人は僅かなはずだ。ひょっとするとちょっと変わった子で目立っていたのかも知れないが、本当のところはわからない。

子供のころのイエスがどういう人だったかを知りたいと思う人は少なくないだろう。家庭がどういう風だったかも気になる人もいると思う。他の家族との共通点や相違点がどうだったのかも知りたい気はする。しかし、イエスと同じような環境の家族であればイエスが育つわけではない。偉人やタレントのように人が育てるものではないだろう。

シメオンやアンナのようにイエスの正統性を証言する人物がいてもいなくてもイエスはイエスだ。このようなシーンはあったかも知れないし無かったかも知れない。福音書は伝道文書だから、未信者が読んでイエスが最初から只者ではなかったと書きたくなりそうな気がする。マリアはどう考えていただろうか。

イエスの母と言っても一人の人間であることに変わりはなく、できることをできる限りやっただろうと思う。イエスが言っていたことを理解できていたかはわからない。使徒行伝によればマリアは弟子たちと一緒にいたとある。しかし、何かに貢献したような記述はない。イエスの母として守られていたと考えるのが自然だろう。その際に、イエスが子供の頃から何があったのかの記録の作成に関わっていたと考えるのが自然な気がする。それが輝かしいものであれば必ず記載されるはずだから、あまり面白い話ではなかったのではないだろうか。

復活のイエスの伝承は理解しがたいもので、信仰告白をするということは常軌を逸した行為と言えよう。しかし、信じて告白する人は多い。理解し尽くすことは不可能な中、決断するのだ。

この箇所で「父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた」とあるが、もし事実だとして、父と母はその部分情報で自分の子が特別な存在であることを信じただろうか。私は、信じられないと思う。マリアが復活のイエスに会ったかどうかもわからない。

この箇所は、不思議な出来事で、信じる前に読めば、何かただならぬ存在だったと感じさせる箇所だ。生誕物語も同様だし、いくつもの奇跡物語も気を引く。しかし、それだけでは信仰告白に至らない。やはり、霊が動かなければ気持ちは動かない。信仰告白から次の学びが始まる。もちろん行動を伴わなければ意味がないことも学ぶ。自分の信仰告白が何を意味するのかに向かい合わなければならない。他人からも学ぶが、最後は自分の誓いを見つめ直す以外の道はない。家族が支えになることはあるが、最後は一人だ。

カトリックは聖家族の祝日を守るが、私にはどうもその理由はわからない。教会は様々な合意の積み重ねの中で形が定まっていく。中には、過去の判断を覆すこともある。例えば天動説のように、科学との整合性を図らないわけにもいかないから、教会の判断にも永続性はないのである。判断は人が行う行為だから完全ではない。

現実的には、優れた法体系を整備してすべての人の人権が増える方向に動く社会を作り上げていく努力をすることが信仰告白の本質になるのではないだろうか。預言者や宗教指導者の権威にすがるのは適切なことだとは思わない。もちろん、研究成果もこれまでの合意も尊重すべきだが、硬直的であってはならないと思うのである。周りの声を無視してはいけないが、あなたの真実に忠実であるべきだ。

※画像は、ブルックリン美術館のTissotのThe Presentation of Jesus in the Temple (La présentation de Jésus au Temple)。絵の説明では、イエスを掲げているのがシメオンとある。手前の人物はアンナだろうか。