新生活166週目 - 「すべての民族を裁く」

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今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「王であるキリスト(2023/11/26 マタイ25章31-46節)」。並行箇所はない。ついに、3順の最後の日を迎えた。来週はB年、マルコ伝となる。166週目というのは砧教会を出て166週ということだ。真実の告発を当時の役員によってたかって葬られ、教会を出る覚悟をしてから166週となるのだが、私は私の教会を出る決断は間違っていたと思っている。光に歩むのであれば、正々堂々とその時期に闇と戦わなければいけなかった。回り道は続いているが、やがて必ず光は差すだろう。

福音朗読 マタイ25・31-46

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕31「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。32そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、33羊を右に、山羊を左に置く。34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。35お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』37すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。38いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。39いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
40そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
 41それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。42お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、43旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』44すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』45そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』46こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

私の中では、閻魔大王が想起される話しだ。この話も分かりやすいし、生活指針をあたえてくれる。どこにもおかしな点は見いだせない。もちろん、実践できているかと言えば、Noだ。指向しているが、通り過ぎてからしまったと思って戻っても、その機会が失われていたことはあるし、恐らく気がついていないことのほうが遥かに多い。多分、律法と同じで、決して守ることのできない掟だろう。でも、目指すべき姿としては間違っていないと思う。

並行箇所はないが、この字句通りでないとしても、この話は本当にイエスは言ったのではないかと私は思っている。ひょっとしたら敗北感があったかも知れないとも思う。彼はこれだけ繰り返してもなぜ伝わらないのかと思ったのではないだろうか。ひょっとしたら、それがその後の覚悟に繋がっているのかも知れない。

英語のWikipediaではいくつかの解釈が紹介されていて、羊と山羊の優劣に、山羊は腐臭がするからだと書いている人がいるのが紹介されていた。当時の現地の価値観として、そういう見方はあったのかも知れない。

今の世界情勢を気にしながら「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」を読むと、まずガザのことが頭に浮かぶ。明らかに飢えがあり、水不足があり、宿を得ることもできない人が大量に生まれ、大変な状況が続いている。確かにハマスによるテロ行為はあった。しかし、どう考えても責任を有しない人が大勢犠牲になっている。仮にイスラエルがパレスチナを滅ぼし尽くしたとしても神の裁きには耐え得ないだろう。イスラエルという単位にくくるのは問題があるとしても、国家のリーダーには責任があるし、それを選んだ民にも責任がある。一方で神の裁きを信じるから、行動を抑制しなければいけないというのも何かおかしい。権利が侵害されたら、権利の回復を求めるのはおかしなことではない。問題は、報復の是非で昔から解決できないままでいる。ただ、ひょっとすると今回の件で、ルールが改善できる可能性はあるのではないかと期待を持っている。失われた命は取り返すことはできないが、せめて時代が進むように願い、祈る。

恐らく、イエスは是正は善しとし、報復は善しとしていないのだろう。

砧教会の現主任担任教師の金井美彦と書紀の佐分利正彦は明らかに事実に異なる主張を展開して私に対する虐待を今も続けている。私は現時点では絶対に許すことはできない。与えられた役割に基づいて不義を糾弾したものを弾圧するものは来る日に神の裁きに耐えることはできないだろう。もちろん、彼らだけではなく私を含めて神の裁きに耐えられるような人は存在しない。しかし、そういう人たちに対しても、イエスは救いの手を差し出しているのだ。是正は求めているが、断罪とは違う。人々はそのイエスを十字架刑に処することを支持したのだ。私は当時の人々にイエスの教えが響いていなかったとは思えないが、その弱さを人々は許せなかったのだと思う。強い側につきたい誘惑に抗えない。

このままやられたままで良いのかという問いを自分にぶつければ否と答えざるを得ない。そして、戦わなければ権利を回復することはできない。真実に向かい合わずに、権力者である金井、佐分利になびいた役員も会員もみな同罪で、彼ら全てが虐待者であり、山羊側の人間ということになる。羊側の人間など存在しない。砧教会に限らず、どこにも理想郷など無いだろう。私は、金井、佐分利と戦うのをやめる気はないが、その戦いの巻き添えを食って傷つく人は存在する。犠牲者を出せばその責任を私は負わなければならない。金井、佐分利が安易な権力者の暴走を行わなければこんなことは起きなかったが、起きたことは無かったことにはできない。結局、彼らは自分で蒔いた種を刈り取るしか無いのだ。

一方で「飢えていたときに食べさせ」をしなかった人がいないかと言えば、恐らく全ての人が何らかの善行を行っている。そういう意味では、全ての人が羊側にいると考えることもできる。量の多寡で量れば閻魔大王と神の裁きは変わらない。天国への階段を語ることはできないと考えるほうが良いだろう。ましてや、そのチケットを買うことはできない。贖宥状・免罪符を含め、それは詐欺である。

むしろ、現実を見据えるべきだろう。近いところを見れば、金井美彦、佐分利正彦は問題に向き合って解決しなければまた繰り返しその保身のために彼らは犠牲者を出し続けるだろう。そういう蛮行は止めたほうが良い。小さなほころびを見過ごすとだんだん悪は拡大してしまうから、私は戦い続ける。やがて、2人は死んで影響力を失うか、生きているまま権力を失っていくかはともかく、いずれ滅ぶ。仮に私が先に死んでも彼らはやがて滅ぶ。負の影響力を発揮しにくくなればそれで善しとすべきだろう。扇動者を活動させないことは重要な善行である。

もっと大きなところで見れば、死屍累々の結果を招いているロシアウクライナ戦争もガザ虐殺も止めなければいけない。経済制裁でこれまでロシアを止めることはできなかった。プーチンは、自国民の命が大量に失われているのにも関わらず戦いの鉾を納めることができない。しばらく前の話に戻せば、サダム・フセインの命を奪っても平和はこなかったから、プーチンを殺しただけでは問題の解決には至らないだろう。だいたい、イラクに大量破壊兵器はなかったのだから、アメリカは権力を維持するために事実を曲げて不当な弾圧を行ったのだ。恐らくガザに対しても同じ間違いを犯しているのだろう。権力闘争は恐ろしい。現実にできることは、誠実に選挙に臨むことだろう。ナショナリストに舵を握らせないようにするのが第一歩だ。本質的に独裁者を指向しているからだ。ベルリンの壁が崩壊したときは、これで時代が変わると思ったが、残念ながら力に頼る時代は今も続いている。油断してはいけない。

EUは独仏戦争に終止符を打とうとした活動から始まっていると理解している。報復の構造を解消し、権力を人につけないように工夫してここまできた。しかし、UKが脱EUを実行し、少なくない国の政治指導者として反EUの人が選ばれるようになった。極めて多様性の高いオランダでさえ、そういう政治家が支持されている。自分たちの権益を守りたい、そのためには他の人など劣後させても良いという考えは、今の時点では止めることはできていない。しかし、距離を置いてみれば、それは油断だろう。必ず、己に返ってくる。

先週金曜日に、ウクライナ出身の若い女性と話していて、自分が若い時代に生きていた世界と今が違うのを思い知らされた。一人の人が見える視野は狭いのだ。善悪ではない。彼女が見ている世界と、彼女の歳の時の私が見えていた世界は違う。地球温暖化は明らかに現実的な問題で、戦争などしている場合ではないと考えるのは自然なことだろう。

間に合うかどうかは予断を許さないとしても、人類は進歩していると思う。

※冒頭の画像は、How can you tell the difference between sheep and goatsから引用させていただいたもの。