新生活160週目 - 『「婚宴」のたとえ』

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今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第28主日 (2023/10/15 マタイ22章1-14節)」。ルカ伝14章に並行箇所(「大宴会」のたとえ)がある。並行箇所だと考えない考え方もあるようだ。

福音朗読 マタイ22・1-14

1〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに 〕たとえを用いて語られた。2「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。3王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。4そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』5しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、6また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。7そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。8そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。9だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』10そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。  
 《11王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。12王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、13王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』14招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」》

 私にはどうもピンとこない記事だ。明らかな当てこすり感があり、ひょっとしたらイエスは熱くなっていて、必要以上に踏み込んでしまったのかも知れないと思う。懲罰感が厳しすぎると思う。一方「家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった」は異邦人伝道感が強く、救いのメッセージになっている。

マタイ伝では「天の国」、他の共感福音書では「神の国」という表現の差がある。英語では、kingdom of heavenとkingdom of Godで、同じ意味のようでもあり、違う意味のようでもある。いずれにしても君主制で、王が絶対権力者として君臨するイメージだ。この世の王国とあの世の王国が何らかの形で接していて、天国の主はこの世の人々を招くという話になっている。旧約聖書では、もともと神は神の国にユダヤ人を招待したという形になっていて、その招待に忠実であればこの世においても恩恵を与えるのだという建付けになっているのだと思う。現代に残っている主の祈りでは「御国を来たらせたまえ」という文があり、神の国が接点を超えてやがてこの世に入ってくるという世界感になっていると考えれば良いだろう。死後に行く場所と捉えれば天国は行くところになる。

天国のこの世の支店がユダヤ王国だったり教会だったりすると捉えればよいのだろうか。

過去の歴史を振り返れば、どんな国であれ集団であれ、持続性があったことはない。

キリスト教会はイエスを接点として天国と現世がつながっていると考える集団と言って良いだろう。この箇所はイエスが天国側は準備ができていて、同時にイエスを通じてこの世に染み出してきているという風に読める。本来であれば、それを歓迎して、それを起点として、この世における天国の領域の拡大をはかるのが筋となるわけだが、本来それを推進する立場の指導者が、自己利益を優先してその邪魔をしている様を描いている。現代であれば、教会が真実より自己保身を優先している様を揶揄しているととることもできる。

招きの声を聞くということはどういうことか。キリスト教会はイエスの存在を意識させる場だから、教会指導者に従うことが良いことに思われるが、盲信は罠だ。あくまで、イエスに聞かなければならない。真理の追求は自分自身でやらなければいけない。皆が進む道は滅びの道かもしれないことを意識する必要があるのだろう。

ただ、どうにも「王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った」は受け入れがたい。ユダヤ王国は滅んだが、それが御心だと救いがない。人間の排他性は本性で救えないという話として受け取りたくはない。しかし、現実を見ると、預かった権威を自己保有の権力と考えてしまう性質はかなり根源的なもののように思われ、人にとって乗り越えることが困難な壁になっている。天国の側にいると考えること自身がその罠に落ちることにほかならないから、油断せずに常に声を聞き続けていくしか無いのだろう。

※画像は、Wikimediaから引用したBrunswick Monogrammist: Parable of the Great Banquet。オープンスペースで宴会をやるという構図が興味深い。処刑される人も描かれていてInかOutかと問われているようでもあるが、天国は開かれているという主張を感じることができる。