多数派

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党派に関わらず、個人として7割以上の人が支持する法案があったとする。明確な党議拘束も暗黙的なものもなければ、多数決を取れば確実に通る。確実に通るものであれば、3割以下の少数派の言うことを聞く余裕がある。少数派の中にはその法案に関して本当に切実な懸念を抱えている人がいる可能性があり、言わばそういう副作用に対してどう対策を打つことができるかは、その社会がどの程度ちゃんとしているかを測る秤になる。言い換えれば、民主主義が機能しているかのテストになるということだ。日本は全体として及第点は取れていると思っているが、どう考えても優等生とは言えない。

例えば、ワクチン接種。ワクチン接種による副反応で重大な健康被害を受ける人はいる。どんな薬でもリスクはゼロになることはない。得られる効果に対して被害の大きさ、被害者の量が許容できるかどうかで推進の是非を決めることになる。マイナンバーカードの是非はおいておいてマイナンバーカードのトラブルのことを考えると、紐づけのミスはゼロにはならないと考えるのが現実的だ。マイナンバーカードの導入あるいは適法な強制化で得られるメリットとそのシステムによってもたらされる被害の深刻さと量を考えて判断するのが適当だろう。ただ、原発問題のように確率は低いが、極めて大人数に極めて重大な被害をもたらすようなリスクの評価は容易ではない。しかし、どこかで決断しなければならず、その決断は将来出る被害者の救済とセットで考えられるのが適切だろう。

多数派というのは結構恐ろしいもので、多数派も一人ひとりを見れば、意見など一致しない。問題ごとに賛否は分かれ、多数派の中の多数派、少数派が生じる。そして、母数が小さくなればなるほど数より声の大きさが効力を持つようになる。衆議院は465人で1億124万人を代表させている。参議院の存在は別にして、数に頼るなら、233人が賛成すれば、立法は可能ということになる。しかし、案件ではなく人で代表させているから、圧倒的多数が支持するような法案でない限り、465人の選択がもし国民声を聞いた時の選択と一致しない可能性は無視できない。さらに、内閣定数は19名以内で行政の権力は極めて少数に集約されている。もちろん、法律に反することはできない建付けになっているが、法律に対する解釈を閣議決定で決めれば、憲法違反の疑いが相当大きなことでも実施できてしまう。ある意味、非常に柔い決断システムの上で行政がなされている。

主な閣議決定・本部決定を見ると、2023年6月13日の閣議決定として、こども未来戦略方針が掲載されている。行政はこの閣議決定に従わなければいけない。しかし、読めば分かるが、具体的な中身はない。今年に入って40件以上の閣議決定が行われていて、これらは衆議院465人の多数支持が得られているものとして確認されているものでもない。

こういう権限の集約の過程で、施策の犠牲者の存在が忘れられてしまうリスクが高まっていると感じている。

反ワクチンは今のところマイノリティで、しばしば馬鹿扱いされているが、ワクチンの副反応で苦しむ人は存在する。そういう人を見てワクチンは悪という風に考えてしまうような人が出てきてもそれ自身はおかしな事ではない。確率的に見れば小さいので、補償の余地はある。仮に深刻な被害者が1,000人出たとしても人口の10万分の1なので、1,000円の負担で、1億円の補償ができることになる。補償が手厚ければ、疑わしい申し出も増えるだろうが、ワクチン接種率が低ければ、感染犠牲者は1,000人といったレベルではなく激増するわけだから、運が悪かった人の不幸の最小化に努力するのは当然のことだろう。そう思えない人もいるだろうが、それこそ丁寧な説明を行って支持を固めるとともに、そう思えない人をばかにするのでなく、不支持の理由を丁寧に記録し、支持者にも開示したら良いと思う。

水着撮影イベントの中止の件では、出られなかった少女の受けた被害と、過去に類似のイベントなどを経て後のQOLに負の影響を受けた被害者の話が発信され、イベントの中止判断の是非について意見が別れている。リスクがあり、被害も受けたが、それでもやって良かったと心の底から思える人もいるかも知れないし、それが致命的なダメージになる人もいる。誰にでも多かれ少なかれ劣情はある。劣情の発動は他社を危機に陥れるリスクがあり、それをどう制御していくかが課題となる。劣情を金に変える取引もあるが、取り返しのつかない悲劇的結末を迎えることもある。あえて二元化すれば「俺には劣情を発動する権利(自由権)がある」という考え方と、他人の人権を侵害して良い自由権はないという考え方になり、後者のその後のアクションには「そういう自由権を主張する人は排除して良い」という考え方と「そういう自由権を発動し難い制度を確立すべき」という考え方がある。前者はネトウヨなどといってバカにする行動につながり、後者は時間をかけて制度設計を進め法制化を進めて行くことになる。即効性がないと言って、人治に頼ると広く弱者の声を拾うのは難しくなる。

私は、閣議決定に頼る政治は危険だと思っている。多数派を代表する人間に権限が集中し、恣意的なことができてしまうからだ。法制化に際しては、客観的な立法事実の収集には行政の関与が必要で、適切なルールに従った偏りのない情報収集を行うためには閣議決定が必要になるだろうが、偏りのない情報収集のためには何らかの第三者機関も必要になる。その組織に人事権を及ぼせば公平性は失われる。学術会議問題は興味深い事例だし、有識者会議にも相当怪しいものはある。報道の質も問われる。事実を適切に捉える力が足りなければ判断を誤る。

マイナンバーカードの技術を利用すれば、機密を守れる形で、投票行為を行うことが可能になる。つまり、代議士などを介することなく課題ごとに安価に是非を表明することが可能になる。誰が何に賛成したか否かは秘匿可能だ。多数派が決めるのではなく、多数意見が何かを誰もが知ることができる未来は構築可能なのだ。例えば、夫婦別姓問題であれば、有権者の考えを定量化するのは容易だろう。もちろん、それだけで安易に法制化することはできないし、少数意見を表明した人から理由を聞き取らなければいけない。少数意見を表明した人だけが本人の同意なく個人を特定されない状態で意見をアップロードするシステムも作れるだろうから、立法事実を丁寧に積み重ねていくことは可能だろう。

代議士制度には歴史があり、様々な知見が積み重ねられて今の形がある。それを否定するものではないが、技術も進化しているのだから、そろそろ次の形を考える時期が来ているのではないかと思う。

少なくとも、多数派の名を借りた、声の大きい保守派の人によって多数意見が無視されてしまうようなことや、現行制度や制度変更で不利益を受けている、今後受ける少数者の意見が無視されてしまうようなことが無いようにしたいと願っている。

どんなコミュニティでも声の大きい人の意見で多数意見が覆されてしまうことはあるし、不公正な制度が見過ごされてしまうことはある。私は、重要なのは透明性の高い集団であり続けることだと思っている。

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