リーダーが目立つ政治は危ない

知人がシェアしていたので読んでショックを受けた。

今朝の各紙朝刊はG7の話、その結束を期待するトーンで埋まっている。現実的な問題として、自分の目や耳を通して入ってくる情報しか自分の判断や行動を決めることはできない。検索して調べようと思う前に、そのワードに何らかの形で接しなければ確認もしないし、確認しようとした時に引っかからなければ情報を得ることもできない。大量の情報が入って来るとその確認や自分の考え方の整理に時間が割かれて、そこから落ちていったことは優先順位が落ちて、時間が経過すると忘れてしまう。

ウクライナ侵攻が注目されれば、核廃絶に関する議論は優先順位が下がる。悪者が核を持っている以上、力で対応できなければなすがままになってしまうではないかという「現実」の前には抑止力強化の名のもとに核兵器の存在を許容する方向に動く。被爆体験のある方が長年かけて積み上げてきたことも大きなニュースによって上書きされてしまう。彼らの挑戦は、そんなことでは止まらないだろうが、何年か分の後退は避けられないだろう。

ゼレンスキー氏が注目を集め続けられなければ、戦うための資金も武力も獲得できないだろう。多くの金を集めれば、出した側も途中で降りるのは難しくなる。勝つか負けるかという二元論的な状況になって膠着すれば賭金はどんどん上がっていき、長期的な体質改善のための資金が絞られることになる。

G7が悪でC7が善というような色分けは適切ではないが、大きなニュースで心揺さぶられる時こそ、報道機関はC7に関わる情報を取り上げないといけないと思う。現実の厳しさに直面して油断するといつの間にか築き上げてきた基盤が破壊されていたということになりかねない。権力が正義を主張する時は細心の注意を払って監視する必要がある。

※冒頭の写真はWikimediaから引用したもの

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