久しぶりに行ってみると結構遠い。しかし、オンサイトにはオンサイトの魅力がある。説教は自宅で聞くより集中できた。今回行った理由は2つ。一つは、2月の定例役員会の報告があるはずだからで、もう一つは2月16日発表の東京都の分析で医療提供体制もようやく黄色の「通常の医療との両立が可能な状況である」に落ち着いたことによる。状況が良ければこれからは毎週通おうと思う。ただし、おかしいと思うことはおかしいと言い続ける。いつかは、決着するだろう。
役員会報告では「萩原氏への対応:議論あり、弁護士を依頼。教会員に対しては3月総会で経緯を説明」とあった。日本基督教団砧教会及び金井美彦代理人から2月14日付の「ご連絡」という文書が特定記録郵便で送られてきている。報告者の佐分利正彦氏はこの文書は役員全員の合意が取れていると明言した。彼は役員会の議論の内容には触れなかった。もし、役員全員の合意が取れているとすれば、個々の役員は相応の責任を負うことになる。蛇足となるが、日本基督教団砧教会の代理人の選任を総会に諮らないのはおかしいと思う。役員以外の教会員は代理人の選任を支持しているのだろうか。予算措置も必要なはずだ。私は、暴走だと思う。せめて、総会に萩原を読んで、説明させるべきだろう。総会決議に関する問題は総会で解決すれば良いのだ。総会に諮れないのは、おかしなことがあるからだと言われてもしょうがないだろう。
金井氏は「昨年6月7日に会堂閉鎖を一時的に解いたのは確かです。ただし、これは私の独断ではなく、萩原さんも含めた役員全員の了解がありました。つまり、会堂に私とオルガニストがいるというのは会堂閉鎖を解いたということです。萩原さんは私とオルガニスト以外が入った(正確には佐分利さんが入った)ことをもって閉鎖を解いて決議を破ったと考えているようです。わたしは、牧師とオルガニストがいるということですでに閉鎖の解除は前提 とみて、もしもの場合に備えたのでした。そして礼拝中止連絡の不行き届きの人が入るのはやむ無しとしたのです。」と書いているが、代理人からの「ご連絡」では会堂再開はなかったと主張し、それに矛盾はないとしている。総会決議違反かどうかは総会で審議すれば良いのだ。負ける可能性があるから逃げ回っているとしか私には思えない。正しい行いをしているのなら、避ける必要など何もないだろう。
ちなみに金井氏は私が最低限臨時役員会を開催して是非を決定すべきと進言したのを無視したので「役員全員の了解がありました」は事実に反する。正に「会堂に私とオルガニストがいるというのは会堂閉鎖を解いたということ」が事実で、経緯を知っていた佐分利氏が他の役員に事前通知もせずに出席したのだから、これはもう看過できる状態ではないと判断して声を上げたのだ。書記としては明白な総会決議違反があれば、職責上声を上げなければ不誠実ということになる。事前に会堂礼拝を強行すれば役員を辞任すると金井美彦氏には通告してあり、勝手にしろと彼は言ったのだ。まさか教会役員会が事実を曲げるような判断をするとは私は夢にも思っていなかった。
総会議事録では「基準として出席者から感染者が出た場合または東京都の前週(土曜から金曜)の陽性数が100を超えた場合を閉鎖条件とすることとした。」となっている。極めてシンプルで、会堂閉鎖を解いたら自動的に総会決議違反となる。こんな明白な事実が明らかになっているのに役員会で「ご連絡」の中身に合意が得られたというのは大変なことだと思う。事実に反することが明白だから、役員会の結論に苦しんでいる人がいるのではないだろうか。
もう萩原を排除するしか無いと考えている役員もいるだろう。事実を認めれば自分が事実を曲げたことを認めなければならない。それでも私は事実を曲げたままごまかすよりは真実に従ったほうが幸せになれると思う。
しょうがないので、約束通り日本基督教団に連絡する準備を始めることとする。
余談となるが、今後の会食などをどうすべきかという話が出ていた。2020年7月に書面総会で人治に変えてしまったので、偉い人が決めないといけない。本来、教会には偉い人はいらない。例えば、東京都の分析で基準を設定した案を作り、異論がある人は連絡してほしいと会員に問えば良いのだ。条件だって状況が変われば変えて良い。人治だとやるやらないを都度決めなければいけないが、法治ならルールを決めてより重要なことがあればルールを破れば良いのだ。2020年6月7日の時も萩原が本当に総会決議を破ってでも会堂閉鎖を解くならせめて臨時役員会で合意を取ってくださいと金井美彦氏にお願いしたのだ。そういう意味でも2020年の書面総会は砧教会にとって痛恨事だったと私は考えている。そこから実質的に2頭独裁となったのではないだろうか。心から「砧教会が真実に忠実に運営される教会であること」を願っている。だから、おかしいと思うことはこれからも声を上げ続ける。どれだけ良いことを重ねていても、ダメなことはダメだ。また、ダメなことがあったら終わりかと言えばそんなことはない。生きている限り次のチャンスは来る。