新生活120週目 - 「占星術の学者たちが訪れる」

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今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「主の公現 (2023/1/8 マタイ2章1-12節)」。待降節第4主日の箇所の続きの場所である。今日の場所ではヨセフは出てこないし、学者はひれ伏して幼子を拝んだと書かれている。学者から見るとヨセフとマリアはイエスの付帯物の位置づけとなる。公現祭のWikipediaの記述はわかりやすい。「元は東方教会の祭りであり、イエスの洗礼を記念するものであった」に親近感を覚える。公生涯の始まりを記念する日は誕生、死と復活と同レベルで祝われるべきだと思う。むしろ、誕生よりさらに大きな事件だったのではないかと思っている。福音のヒントでは幼年時代の物語を伝えているのはマタイ伝とルカ伝で異なるものだと書いているが、私は誕生からイエスの洗礼までの時期について聖書記者は情報を持ち合わせていなかったのではないかと考えている。恐らく後世の創作だろう。とは言え、このテキストは採択されて聖典となった。その意味を読み解こうとする努力は意味のあることだろう。

福音朗読 マタイ2・1-12

 1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」3これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
 6『ユダの地、ベツレヘムよ、
  お前はユダの指導者たちの中で
  決していちばん小さいものではない。
  お前から指導者が現れ、
  わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
 7そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。8そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

福音のヒント(3)にあるように、ヘロデ大王はローマからユダヤ人の王という君主号が与えられていた。その死後はローマ総督の直轄領・属州になる。ヘロデ王家が認められていたわけではなくヘロデ大王が個人として王と認められていたという理解で良いだろう。そして、ユダヤの人たちからは血で見るとユダヤの王としての適格性がなかった。Wikipediaの記述を見ると、ヘロデ大王は権力指向の強い成り上がりものにも見えるが、構想力、統率力は強かった。神殿の改築や数々の要塞の建築、ちょっと田中角栄を想起させる面がある。清廉さには欠けるが、目に見える形で誇りの持てる国への改革を推進したように見える。民衆の一定の支持はあったのではないだろうか。一代で、権力を確立し土建事業を推進するような人物であれば、新たな技術の導入にも関心があっただろうから、東方からきた学者の話を聞くようなシーンはあったかも知れない。ユダヤの外からは、彼の地には新たなリーダーが生まれて、強いリーダーシップで国が成長基調にあるように見えただろう。新たなチャンスがありそうだと考えて、ヘロデに売り込みをかけようとした外国人もいただろう。国単位の開発をすすめる際には鳥瞰的に位置を把握する必要があり、天文学者は役に立つ。恒星、惑星の星を読むというのはスケールの大きな権力者にとって意味を持つ。

イエスが生きた時代はヘロデ大王後の分割された統治の時代で、ヘロデ大王のようなリーダーシップもスケールもない。ヘロデ大王は自分の子供に国を継がせたかっただろうが、恐らくどの子をとっても継承者として十分な人物を見つけることはできなかっただろう。構想力やスケールの大きさは遺伝的に継承されるものではない。環境を整えることで権力を継承させることはできても、自分が成り上がったように新たな成り上がりものが台頭してきた時は権力は失われる。

今日の記事では「ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた」とある。その前に「王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした」と書かれているので、ヘロデ大王は学者が正しく未来を予想する能力を有している可能性があると考えたのだろう。呼び寄せられた学者たちは相応の報酬をもらって喜んで仕事をしたと思われる。宝の箱はヘロデ大王が用意したものだろう。学者は「見つかったら知らせてくれ」という注文を全うしなかった。これは不思議なことだ。クライアントの権力者を裏切るのは極めて危険である。マタイ伝の記述が事実だとすると、この宝の箱が第二のヨセフの夢によるエジプト逃亡の原資となったのだと思う。ヨセフは原資が得られたことで夢を信じやすくなったと言えるかも知れない。

この占星術の学者たちは何者なのだろうか。「「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」という記述はとても興味深いが、もっと不思議なのはそもそも最初になぜ彼らがヘロデ大王のもとに向かったかである。学者に天啓が下ったと考えることはできる。ひらめきが突然降ってくることはそれほど稀なことではない。

キリストが磔の時に総督によってユダヤ人の王という称号が与えられている。磔刑の瞬間に占星学者が言った「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」が事実であったことが予期しない形で明らかになった。ユダヤ人の王として磔刑になったイエスは復活して昇天した。一度死んでいるのでユダヤ人の王であった時期は磔にされている間だけだったということになる。言ってみれば名誉君主号、揶揄君主号だ。昇天したイエスはもはやユダヤ人の王ではない。

「史的イエスはローマへの反逆罪で処刑されたことは歴史学者達によって一般に認められている」とするとユダヤ人の王という称号が振られたことはあり得る。マタイ伝の記者は、誕生前に占星学者が既にそれを言い当てていたと言いたいのだろうか。成り上がりものヘロデ大王はイエスを恐れた。その恐れは間違っていなかったが、スケールの大きさが段違いで人間の権力者がどうにかできるものではなかったのだと言いたかったのかも知れない。

福音のヒント(5)にあるように、私も何かしら大きな力に守られていると感じ、感謝し、幸いを願う。形のある物や、立派な人物にその大きな力を投影してしまいがちだがそれは幻だ。自分の進む道は何かに依存するのではなく自分で考えて決めなければいけない。天啓と勘違いするリスクは恐ろしいが、天啓をやりすごすのはもったいない。

※画像はWikimediaから引用したヨセフの夢。エジプトに行けという第二の夢のシーンを書いたものと思われる。