1年前の今日はコロナ隔離施設から退所した日だった

一年はあっという間に経つが、意外と長い。写真を見ると思い出す。

昨年、エストニア出張帰国後に同乗機に感染者が出て、自主待機ホテルから隔離施設に移送された。昨年の今朝、無事退所した。久しぶりに外気に触れ、15分ほど大きな荷物をゴロゴロと引きながら、バス停に向かった。厚労省基準ではもう1日隔離状態を続けなければいけない状況だったのでMySOSは呼び出してくるのを無視する。落ち着かない。一方、地方自治体基準では退所適当だったので公共交通機関を用いて帰宅するしかない。落ち着かない一日だったが、外気は美味く禁酒が解けたのは嬉しかった。喉元過ぎれば熱さを忘れるが、コロナが終わったわけではない。

エストニアもそうだったし、欧州では感覚的にはほぼ全員に観戦経験があって2度、3度という人もいたし、亡くなってしまった人もいる。マスクレスの時期を迎えているけれど、それまでに払った代償は大きい。日本は私も含めてだが、7割程度の人が未感染で、ワクチンを接種していても曝露量が多ければ感染してしまう確率は既感染者よりは高い。2度、3度感染する人もいるから自然免疫にも限界はある。個人差はあるから、こうすればOKという確実な策はない。ただ言えるのは、接触量が感染確率に影響するのは間違いないということだ。感染者が増えれば暴露確率は高まるから、その分接触量を減らして医療機関の負担を減らすのが適当だろう。中国のあの強烈なゼロコロナ政策でもゼロを維持できなかったことを見ると、ゼロは目指せないと考えざるを得ないから、目標はケアが可能なレベルに感染者数を抑える道を探るしか無い。未感染者もいずれ自分も感染するという覚悟は必要だ。後は、医療リソースが逼迫している時に感染しないように努力するしか無い。

もうリスクを避け続けるのは現実的ではないと思うが、リスクを選んでいることを自覚しないのは良くないと思う。

東京都の場合は、幸い感染状況・医療提供体制の分析に関して指標が提供されている。

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医療提供体制が赤になっているなら、オフィスを閉鎖するといった対応を取るのか適切だろう。個々人の判断に頼るよりはずっと合理的だと思う。2020年の時点では、感染状況を閉鎖の基準として採用するのが適当だったが、今は医薬品を含め対処方法が分かってきているから、医療提供体制の逼迫状況を閉鎖の基準として採用するのが適当だと思う。感染状況の黄色は交通信号の黄色と似ていると考えれば良い。黄色は止まれだが、どうしても急いでいる時は歩行者用信号が点滅していてもリスクを負って渡るのと同じように判断したら良い。

もう3年が経とうとしているので、感覚が麻痺しかけている気がするが、決してパンデミックが終わったわけではない。やがて落ち着く先は見えてきているものの、まだ道半ばであることを忘れるべきではない。もう前に戻すのが良いと主張する人がいるが、公衆衛生的な観点に立てば、良い市民とは言えない。責任のある立場にある人は、それぞれの人に注意しろと警告するだけでは無責任だ。犠牲者が出る前に必要な対策は取るべきだろう。テレワークの技術はほぼ修得できているので、面倒臭がらなければ経済的なダメージを最小化しつつ接触量を減らすことは可能だ。

ちなみに一年前の今日、ずっとPCR検査で陰性だったのだから、感染拡大を招く可能性は限りなくゼロに近かったが、ルールはルールだ。感染性廃棄物として処理されてしまったシーツ等は傷んでいたわけではないし、ちょっともったいなかった気がする。

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