北海からバルト海へ

昨日のデン・ハーグでビーチ、今日は朝の編集会議を終えて休日散歩にバルト海・タリン湾を散歩した。

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デン・ハーグは北緯52度04分、タリンは北緯59度26分だから、7度22分の差がある。800km強タリンの方が北に位置するので、ずっと北の海感が強い。無口な雰囲気が漂う。

今日はD-Terminalから約8km海沿いに歩いた。3km程度から先は私にとっては未開の地だ。

景色を見ながら歩いていると不思議な建造物が立っていた。

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ESTONIA'S VICTIMS OF COMMUNISM 1940–1991である。予備知識もなく、何なんだろうと思って入ってみると、ソ連の犠牲者を忘れないために建てられたものだった。

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この説明を見た辺りからやっと像を結んできたのだが、独立を失って後、本当に苦しい思いをしてきたのがわかる。多くの兵士が殺され、東部等開拓のために強制労働させられた歴史がわかってくる。幽閉を含めると総人口の2割が犠牲となっていて、非常に重い。簡単に比較するわけにはいかないものの、日本のシベリア抑留の場合は、侵略者だった国の人を強制労働させたわけだが、エストニアの場合は侵略されて国の独立を失った上に強制労働させられたわけだから、とてもひどい話に感じられる。

現在のウクライナ戦争は、エストニアの人にとってはとても他人事とは思えないのがよく分かる。ロシア帝国の再興は正に悪夢である。そういう記憶をもっている人達からすれば、戦わない選択肢はないというのは心の底から出てくる思いだろう。

グダンスクの連帯博物館のような勝利感はかけらもなく、ワレサの様なヒーローも出てこないが、独立と平和の意味を感じさせるという意味では、むしろこちらの方が心揺さぶるものがあった。

その場所を抜けて、湾に戻るところからは海の向こうにタリンの新市街、旧市街が見渡せる。

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新しく生まれ変わって成長しつつあるエストニアには深い悲しみと熱い思いがある。

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