2020年3月22日以来のリアル砧教会だった。テサロニケ後書の最後の部分の説教は異論ありなものだったが、リアルに集まって礼拝の時を共有するのは特別な体験で時にはリスクを取る価値があると思う。感染リスクを考慮し賛美歌も歌わなかったし、交読文も主の祈りも黙っていたが、それでも満たされる感覚があった。
礼拝後に挨拶させていただき、和解が成立して今後は正しく運営されるということなので現住倍餐会員に復帰したい希望がある旨表明し拍手をもらった(と思う)。父の納骨と母と妹が隣り合って確保されていたことも報告した。
数人の方と挨拶したが、2名先方から積極的に話しかけてくださる方があった。一人は、当時の役員で公開質問状にただ一人書面で教会は真剣に取り組まなければいけない旨表明してくださった方で、もう一人は「私は萩原さんを信じています。(妻)さんを含め元のとおりに自然に過ごせる日が来ると思っています」と言ってくださり、ちょっと泣きそうになった。問題はまだ何も解決されたわけではないと言うと、わかっていると頷いていた。
被告らは硬直するか笑ってごまかすだけだったのと好対照だったのである。
テッサロニキは今でもローマ遺跡が目に入る街だ。「働きたくない者は、食べてはならない」とパウロが言ったとする箇所の解釈は複数ある。教会は献金を元手に布教活動と福祉活動を行っている。だから、教会の中には投資分野を管理する人は必要だっただろう。その人だって、霞を食って生きていけるわけではないから献金の執行に関して対価を得ていたのかもしれない。パウロはそういう役割を担う人は自分の生活費を献金に頼るなと言ったのだろうと私は解釈している。ラビはラビとしての職務執行には代償を受けなかったという話もあるから、パウロの常識と合致する気がする。パウロがすべての人に対して「働きたくない者は、食べてはならない」と言ったとはとても思えないので、おそらく教会執行部の人に向けた発言だろう。
当時のテッサロニキにいた人は、ほとんどが労働者だっただろうと思う。街の作りを見ていると、漁業で生活を立てていた人、農業で生活を立てていた人、流通、物流の仕事で生活を立てていた人とその家族で大半を占めていただろうと思う。ごく僅かな支配層と取り巻きはいただろうが、それらの人たちのほぼすべての人はその人の仕事をしていたと思う。支配層であっても何もせずにずっと過ごし続けられるほどこの世は甘くない。中には、教会に逃げ込んだ支配層の落ちぶれものもいたのかもしれない。
実際に何があったかはわからないが、私はテッサロニキでも自由は増大していると確信している。