4冊目(7冊目)のDrupal 9本を脱稿した。あとがきで、これが同人誌版最後のDrupal 9本となるだろうと書いたのだが、いよいよ今月中にDrupal 10のベータ版が出る予定で、12月には正式版がリリースされるだろう。スケジュールだから遅れることはあるが、既にD10が遅かれ早かれリリースされることを前提にコミュニティが動いている。
What to expect in Drupal 10?という記事を見ると、
- New admin interface - 管理インタフェースの刷新
- Improved performance - パフォーマンス向上
- Better security - セキュリティ強化
- New theme engine - テーマ刷新
- More accessible front-end - 障害者にも優しい操作性の実現
- Revamped media management - メディア管理の改善
- New language translation system - 翻訳機能の刷新
- Improved configuration management - 構成管理機能の強化
- New content moderation system - 執筆ワークフロー機能の刷新
- Better tools for developers - 開発者向けツールの入れ替え
とある。訳は意図的な意訳だが、多分間違っていない。
既にアルファ版はある程度触ってみているので、この記事の期待は概ね的を射ていると思う。逆に言えば、Drupal10で作成したサイトあるいはそれをバックエンドとするアプリは一般ユーザーから見るとほとんど進化しないという風に考えて良いだろう。
では、大した変化はないかと言えばそんなことはない。
Contribution moduleがD10に対応する過程で、リファクタリングが多く行われていて、そもそもこの機能はどうあるのが正しかったのだろうかという検討が起きているので、進化と淘汰が起きている。単純な進化ではなく、内部では入れ替えが多発しているのだ。利用しているContribution moduleが競争から脱落すると結構手がかかって大変だし、同じことが再現できないケースも出るが、世の中などそんなものだ。自分の思うようには動かない。時代適応はサボれ無いのである。
CMSはもともとWebサイトを作るためのものだったから、消費者・生活者が見た時に良い体験が得られるかが重要テーマとなる。当初は会社案内やチラシの代替物だったが、ブログなどのCGMのツールとしても用いられるようになった。やがてホスティング化、サービス化が進みはてなのような共同ブログサイトを経て、SNSに人々は移っていった。それは素晴らしいことで、私もSNSには大変世話になっている。様々な出会いを生み、自分の考えに目を通してコメントを頂く機会も増えた。一方で、書いた記事を預けているのか捧げているのかわからないような状況にもなった。FacebookやTwitterを儲けさせるために働かされているのではないかと感じることもある。
便利は便利でよいのだが、思考停止は自由を失うリスクがある。
このブログもDrupalベースだが、それほど手をかけずに自分でほぼ全てをコントロールできている感じがあるのはうれしい。運営コストも極めて安価でちまちま広告の収入の方が大きいから実質ゼロだ。広告なしでも月額100円を払うことはない。
私は、勝手にDrupalは自分たちで管理可能な外部に開かれたコミュニティを支えるものだと考えている。創始者のDriesは最近野心的なサイトビルダーという用語を用いているが、自分(達)で管理できる高度なコミュニティプラットホームを作ろうとしている人達を指すと私は考えている。つまり、自由を明け渡すことなく努力して自分たちで自分たちのプラットホームを確保しようとする人達のことだ。
Web3の世界観ともつながるものだが、まだ広く認知されてはいない。
そういう観点で見ると、上記の10点はかなり興味深い。私があえて1つを選ぶとしたら「New content moderation system」を挙げたい。コミュニティを健全に保つためには裁定システムの巧拙が極めて重要だと思うことだ。
自分たちでコミュニティを守れる、多くの人が参加可能な社会の実現に期待したい。