コロナ禍で多くの「死ぬかと思った」という人がいたはずだ

hagi に投稿

昨日、Facebookで記事を書いた。

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今日、今年のヨーロッパのDrupalConがプラハだと聞いて自分の写真を検索したら、2012年8月26日はプラハでブドバーを飲んでいたのが分かった。「もやしもん」で読んで行ってみたかったのだった。ちょっとわんこそば感があったのを思い出す。この歳になると10年はあっという間だが、それでもこの10年に随分いろいろなことがあった。
今日8月25日は11年目の脳虚血記念日だ。生き返ってから良いことだけをしようと思ってきたが、大したことはできていない。まあ、そんなものなのだろう。
いわゆる常識からはずれていても、良いと思うことをやりたいと改めて思う。

生まれて初めて救急車とERの世話になりましたで一報しているが、前職である種の偉い人だった時に、オフィスで倒れた。「床に這いつくばっている時には死ぬかと思いましたが」と書いているように、これで俺の人生は終わりかもしれんと覚悟した。もちろん生き残れる可能性を諦めてはいなかったし、多くの人の助けを借りて無事に脳虚血をやり過ごすことができた。しばらく経過してあなたは世の中を良くするために生まれてきたというノートを書いている。一度死んで生き返ってきたのだから新しい人生を生きようと思ったのだ。

コロナ禍で多くの「死ぬかと思った」という人がいたはずだ。私の場合は、その体験が私の人生を変えたが、コロナ禍で死ぬ思いをした人たちにはどのような変化をもたらしたのだろうか、何も変化はなかったかもしれないし、大きな変化が起きた人も、変化は起きたが時間とともに忘却の彼方となった人もいるかも知れない。感染者数がのべ17百万人ともなれば、かなり怖い思いをした人は百万人以上いるだろう。概ね人口100人に一人だ。何らかの形で、その一人ひとりの思いを記録しておくことはできないものだろうか。記録しておけば、振り返ることができるし、多くの記録があれば長い時間を経てその内容から学ぶことができるだろう。戦時の記録のようなもので、現代ならかなり安価に記録できるのだから、何とか記録して置けないものかと考えている。

ちなみに倒れる前日に、私は以下の投稿をFacebookにしている。

昨日、将来の事を考えるゆるいディスカッションの中で、思ったこと。

過去30年を考えれば、ソフト屋はいろいろな事に挑戦してきたし、ユーザー企業もすごい挑戦をして来ていた事に改めて気付かされた。自分が仕事についたころは、やっと個人でもPCに手を出せるようになった時代だったが、既に銀行はCDをサービスしていた。それぞれの時期に、手を入れるべき領域があり、時期と共にその領域は移って行く。メーンフレーム時代のアプリケーション開発の工程定義にすごく先進性があった時代から、PC・SIの時代の技術整備、そしてソーシャルICTの時代と流れて行く。マクロに見て、ニーズのあるとこに視点を当てるとともに、今のお客様のニーズ、自社サービスの品質・生産性を圧倒的に向上させるための施策実施はどちらもはずせない。どちらにより優先的に取り組むかは、会社のおかれた状況によるだろうが、仮に99対1という選択肢はあっても、どちらかだけという選択肢はありえない。

思考の傾向は、前後で変わってはいないと思うが、変わったことは「もう取引はやめよう」という点だ。何かを成し遂げようと思えば、金や権力が必要になる。価値観、時代観はひとりひとり違うから組織的な施策の優先順位は他人とは一致しない。それ自身はあたり前のことだが、自分が優先順位が高いと思うことを通すためには、それを通すために周囲や上司の同意が必要になるから、自分の主張を通すために、危険な匂いがしても他人の主張を受け入れるのが近道になることがある。それは政治であり、その危険な匂いは不正や破滅への入口である可能性もあるが、ある程度緩くないと実施権限を獲得できないのが現実である。また、自分の主張だって、全力を尽くして考えていても間違っていることは少なくない。

倒れたあとで行動が変わったのは、おかしい、危ないと考えた時に遠慮を止めることにした部分だ。

もともと、協調性の高い人間ではないし、他人の話をよく聞いて、できる限りで望みを理解して、その実現に資する方向に動こうとする思いはあるが、意見の違いはすぐ顔に出る質だ。意見の違いがあるのも当たり前だと思っているし、価値観の違いがあってもよいと思っているが、何かを通すためにおかしいと思うことを飲むのは止めることにしたのだ。だから牧師が「萩原さん、これは政治です」などと発言すれば、それは根底的な決裂になる。これは政治ですと言った時点で、もはや真実は劣後するからだ。現実は政治的なものだが、政治的に問題を解決しようとすると多かれ少なかれ破綻が待っているし、専制と隷従への入口となる。選択してはいけない広き門だが、多くの人がその道から入る。そして、その選択をしないと生きていくのは難しい。だから、他人がその道を選択しても、よほどのことがない限り無理に止めることはできない。

生きにくかったとしても、自分の選択は自分の自由だ。もちろん、周りの人に不快な思いはさせたくないが、可能な限り筋の通らないことに妥協したくない。

※画像は総感染者数を確認する目的で日経新聞2022年8月25日朝刊に掲載された世界各国・地域の新型コロナ感染者・死者数の表を引用させていただいた