制服あるいはマスゲーム

ポーランド語のTwitterで流れていた動画。ロシアの森友学園とコメント付きでretweetされていたのを見た。子供からすれば、地球防衛隊ごっこと変わらないし、集団で同じ方向を向いて一緒に行動できると嬉しいのだ。私は千羽鶴も似ていると思うし、ボランティア活動でにも類似性があると思うし、イベント等で同じTシャツを着て一体感を得るのも似ていると思う。実際には、一致などしていないのだが、仲間の幻想を抱くことができ、心の安定につながるのだ。一方で、あわせられずに脱落すると村八分になる。多分、人間にはそういう性質がある。

同質性が見える形になると、一人ではやらないことができるようになる。チームワークでゲームに勝つのは一例だが、暴走族が破壊行為をしたりするような事も起きる。一度踏み出してしまうと、それが個々人に蓄積されていく。達成感は麻薬のように機能し、だんだんエスカレーションしていく。いくらチームで鼓舞しても個々の能力には限度があって、ごっこのレベルを超えればみなが同じことをするのは困難になる。選別が始まると階級制度に移行していく。

スポーツで監督やコーチの暴走がニュースになるが、チームの結束を高めれば自然と社会規範から乖離していても自分達のルールが優先されるようになる。学校も会社も変わらない。オウム真理教もそうだったのだと考えている。個々人は異常者ではなかったが、何かでスイッチが入って戦士モードに切り替わると暴走が始まる。

出身校では、行進や体操で一糸乱れぬ集団行動をやっていた。それ自身には意味はないが、できると嬉しかったし、できないと悔しかった。自分が足を引っ張る側になるのは嫌だった。体力がないと苦しい環境だったし、劣等感をもっていた。

ただ、その経験はチームビルディングの功罪への学びとなった。

個々の能力が特に高くなくても、火が付けば燃え広がる。一度火がついてしまうと、制御はできない。チームの目的が共有されていれば目的そのものは概ね維持できる。

多くの組織では、何かの軸で勝つことがチームの目的となる。指標化できることは重要だ。

研究開発は、何らかのプロダクトを完成させるのがゴールとなる。受託型ソフトウェア開発だとプロジェクトの納品がゴールだ。火事場のプロジェクトのマネジメントはチームをゴールを意識しているメンバーの集団にすることが肝要だ。もちろん、冷静に必要なリソースを確保しようとする努力は必要だが、潤沢なリソースが調達できたシーンには遭遇したことはない。しかし、チームが一様にゴールを意識できていれば、持てる能力を限界まで引き出すことができる。ただし、燃え尽きるまでの期間は短い。過度に引き出してしまうと人間が壊れてしまう恐ろしいものだ。

愛国心はもっともたちが悪いチームの目的だと思う。なぜなら、ゴールがないからだ。ロシアの戦士ごっこをしている子どもたちは、ウクライナを倒すことをイメージできてはいない。自分達がやっていることが本当に何を意味しているか理解できたら、心を合わせることなどできない。しかし、あなたは正義の味方というメッセージは甘い響きがあって気持ちが高揚する。

教育は難しい。戦士ごっこを幼児は素直に受け入れるだろう。親の中には、危険性を感じる人はいるだろうが、集団活動ができる様を見れば、その効果は目に見えてわかる。愛国者教育は子供を育てると考える人が出てきてもおかしくはない。しかし、集団活動の魔力に捉えられてしまうとその代わりに考える力は奪われてしまう。集団活動を進める時に、いちいち考えていたら、話は先にいかないのだ。そして、考えずに行動に移す人が多いとゴールが自明でない問題は解けなくなる。打って殺してこいという命令に従ってしまうが、実際に行動に移せばおかしさに気付く。しかしそうなってしまったらもう手遅れなのだ。

チームビルディングの力は、経験しないとわからないから、チームによる成功体験はあった方が良いだろう。極論すれば戦士ごっこでも良いが、せいぜいマスゲーム程度にしておいたほうが良い。害が小さくエスカレーションしにくいものが良い。最近なら、ネットゲームは成功体験を得る機会となるだろう。副作用もあるかも知れないが、チームで活動して成功する体験は貴重だ。

一方でチームビルディングの副作用は、座学でないと学ぶのは難しいし華々しいものではない。学べば悪用する人も出る。うまく煽れば金にもなる。悪用を意図したものかどうかはわからないが鬼十則はチームビルディングの本質を示していると思う。勝つリーダーに必要な教えだが、勝てなかったものを踏みつけにすることを良しとする教えである。煽ったもの勝ちだ。しかし、実は鬼十則に煽られて安易に踏み出したものはその強烈な副作用を見ることになる。現代ではベンチャーキャピタリストがしばしば悪用している。

倫理、人権原則は本質的に愛国心と対立する概念である。グローバルに平等が進展しない限り自分達の未来が開けることはない。ちょっとした一時の成功に酔うと道を誤る。愛国心を称揚するような政治家を選んではいけない。その副作用を教育プログラムの中に丁寧に埋め込む必要がある。一丸となってというのは、短期のゴールに向かう時にしか役に立たない。環境問題や少子化問題など長期、ブレークスルーを必要とする変化は、多様性の尊重を倫理規範におけるようにならなければ乗り越えられないだろう。情報アクセスの量的な変化がパラダイムシフトを引き起こし、経験したことのない時代を迎えているのだ。美しい日本は決して取り戻すものではない。そんなできもしない後ろ向きのゴールではなく、新しい未来のかたちを探ろうとする人がたくさん出てくる社会に変えるしかないだろう。意見を無理に一致させるのではなく、多様な主張がそれぞれ検証されるべき時期で、同じ方向を向いているという愛国心幻想を煽っても良い未来など来ない。

※冒頭の画像はhttps://twitter.com/Respublicanez/status/1522493079013441537から引用させていただいたもの