「皆にとって正しい優先順位」は存在しない

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フランスの大統領選挙はマクロン氏の継続という結果となった。

ロシアによるウクライナ侵攻が望ましい行動だと考える人は圧倒的少数だろう。一方で、ウクライナの人々の悲惨よりフランスの同胞の苦難の克服を優先せよという声は小さくない。Make America Great Againも美しい日本を取り戻すも根底は変わらない。本来、「我々」はもっと豊かで気持ち良い暮らしができて当然なのに「あんな人たち」のせいでうまく行っていないとする考え方である。実際には、個人であれ国の単位であれ自給自足は不利だ。道路や水道、エネルギー供給や医療といった社会インフラを整備、維持しなければ生産性は上がらず生活は良くならない。保険、あるいは社会保障、安全保障も小さな群れには持続性がない。大きい方が安定しやすいと考えて良いだろう。

大きいことは良いことだという考え方は帝国主義や覇権主義の台頭を招く。3000年前でも大国が広大な領土を支配し、栄枯盛衰、交代は幾度となく繰り返されてきた。一時、一定の勝利を得た人たちは、その姿を正しい、あるいはより大きな栄華の過程と考えてしまう傾向がある。これまでに獲得した権益は当然と考え、凋落に怒りを覚える。

フランスの人から見えるウクライナとポーランドの人から見えるウクライナは違う。ポーランドから見ればもしウクライナが落ちればロシアと直接接することになる。力で問題を解決しようという勢力に対峙するためには防衛にリソースを割かなければならなくなる。防衛予算を1%上げるということは、他の予算を1%削るということにほかならない。金の問題もあるが、先進国は人口減少傾向にあるので、貴重な人的リソースを非生産的な行為に投入することになる。武器輸出でもやれば一国にとっては生産的な行為となるが、グローバルで見れば破壊のための投資にほかならない。マクロで見れば馬鹿げた行為だ。

西側諸国の助けがなければ、ウクライナはロシア政権の手に落ちる。フランスから見れば、直接的な安全上の懸念は急には高まらない。難民問題は起きるが、自国優先主義に立つと、難民は排斥の対象である。難民となれば、生命の危機にさらされるので、もうきれいごとなど言っていられない。どうしようもなければ非合法なことをしてでも食べていく道を選ばざるを得ない。負の連鎖が起きれば、どんどん非生産的なことに割かれる金もリソースも増えてしまう。

フランスの人たちが、冷静に考えた時にその現実を理解できないわけがない。理解する能力はあっても見たくないものは見たくないと思う人もいれば、そういうレベルを越えて本当に追い詰められている人もいるだろう。そういう数字を合わせると、41.45%となった(マクロン氏がフランス大統領に再選 決選投票で極右ル・ペン氏上回る)。それは現実だ。

引用したBBCの記事には、マクロン氏が「極右に投票した人たちに申し上げる。皆さんの心配事に対応するのが、私と私のチームの責任です」と言ったとある。私は適切な現状認識だと思う。マクロン氏を支持した人たちの中には「我々」は勝ったと考える人は多くいるだろう。ある意味ではそれは事実だが、41.45%を「我々」でない人たちとしてしまったら未来が明るくなるわけがない。41.45%の人が不満に思っていることに向かい合わずに切り捨ててしまえば、次はその数字はさらに上がる。上がらなくても、怒りは力を増す。放置すれば、やがてヒットラーのような人物の台頭を招く。再び、専制と隷従の時代を迎えるのだ。

問題は「皆さんの心配事」だ。

標題に使わせていただいた『「皆にとって正しい優先順位」は存在しない』は真鍋厚氏の『社会の「分断と対立」がここまで加速している訳』という記事に出てくる主張である。

インターネット時代、Web2.0の時代となって個の情報発信力が上がり、物理的な集会を伴わずに群れを構成することが可能になった。真鍋氏はアイデンティティとそれに基づく「地位をめぐる闘争」と捉えているようだ。ヴァーチャルな世界ではアイデンティティ毎に群れを構成することが容易になり、簡単に権力闘争ができるようになった。恐らく、そのほぼ全ての闘争に一定の理はあるだろう。N国党の例は分かりやすい。問題のない組織などあるわけがなく、権力を持つ組織体は攻撃対象になる。NHKによって不当な不利益を受けているという主張は全く根拠がないとは言えないし、おかしいと声を上げても良い。声を上げる権利は保証されている。その戦いに参加したいと考えるのも自由だ。是正されるべき問題が存在し、それが事実に基づく糾弾であれば取り上げられて是正されるのは良いことだと思う。それがNHKそのものの解体であったとしても、議論の対象になっても良い。ただし、同時に取り組める案件数には限界があるから、どの順序、優先順位で扱うかを決めなければいけない。

優先順位を高めるために有効な手法は「炎上」だ。ギリギリ一杯なところ、あるいは一線を超えるような極端な主張をすれば火をつけられる可能性が高い。「ぶっこわす」という言葉は力による現状変更の一歩手前に位置するもので、かつて小泉氏は古い自民党をぶっ壊すと言って支持を集めた。地道な改善では郵政民営化は起きなかっただろう。郵政民営化の場合は第一の目標として掲げられていたのが「国民の利便性の向上」でぶっ壊した後の絵が描かれていた。もちろん、評価は分かれるだろうが、未来の形を掲げて時代を動かした。対立構造を煽ることで優先順位を高めて結果を出した一方、何かに高い優先順位を与えてしまう、与えすぎてしまうと他の問題に対する施策が滞る。

改めて考えると、個の情報発信力が上がれば論点一つ(single issue)に対して多くの発信が起きるようになる。自由な発言ができるのは好ましいことだと思うが、責任を伴わない声が大きくなるということでもある。極端に言えば、未来の持続的な政策を策定せずに好みで施策を決めてしまうリスクが高まるということだ。変化後の持続性が確保できる裏付けのない政策は選んではいけないのだが、好き嫌いで破綻を選んでしまうことがある。

現時点で短期的に最も人命を危機にさらしているのは新型コロナ感染症だろう。実施可能な施策はある。ゼロコロナ政策も選択可能なものだ。しかし、個々人から見ると、適用レベルにもよるがゼロコロナ政策を取れば収入を失い生存の危機に瀕する人もいる。そういう人から見れば、コロナに感染するリスクより今日の飯にありつけないリスク対策の方が深刻なのである。一方で、閉じこもっているのは嫌だという感情がある。ゼロコロナ政策に従っても耐えられるが嫌だからゼロコロナ政策をぶっつぶせという声となる。合理的に考えれば被害が最小になる可能性のある施策を捨てて破綻の道を選んでしまうリスクは大きい。専制モデルなら無理やりゼロコロナ政策を押し通すことができるが、民意は必ず割れ、根拠のない感情を刺激する声の影響は大きい。往々にしてその声が通って被害を拡大してしまう。

ウクライナの人々は、基本的には昨日の暮らしがそのまま続くことを願っていただろう。そして実効支配されてしまったクリミアがもとに戻ることを願いつつ、引き続きロシアの力による現状変更の驚異を日々感じていたと思う。個々人ができることはほとんどない。自由と独立を守る戦いはずっと続いていた。その声は多くの西側諸国の人の耳には届いていなかった。フランスではマクロン氏はウクライナ問題を実質的にsingle issueで支持を求めたが、支持しない声が41.45%もあったのだ。ウクライナ問題を最優先にする考えは辛うじて支持されたに過ぎない。放置すれば、やがてフランスにも極めて深刻な影響を及ぼすのは明らかなのに、それを上回る「皆さんの心配事」がとてもたくさんあるのだ。

『「皆にとって正しい優先順位」は存在しない』は現実だ。好き嫌いは公共の福祉に反しない限り最大限尊重されるべきだと思うが、事実に基づき、論理的整合性のある施策選択肢が立案される環境を整備しなければいけない時期を迎えているのだろう。大きな声が一定の力を持った時、十分に客観的な分析が行われるための予算がつくような制度設計が必要だろう。

振り返って、オバマ時代の請願サイトは一つのプロトタイプとして秀逸だったと思う。

今回のウクライナ問題、コロナ問題を踏まえて、世界全体の課題の優先順位設定に個人が参加できる仕組みがあって良いだろう。通報者保護制度の国際版の整備は不可欠だと思う。相当な時間は必要だろうが、まずはWeb2.0時代を迎えてしまった以上やるしかないと思う。特に民主主義国では、代表者の権力維持(再選)は極めて難しくなっていて、専制化のリスクはむしろ高まっている。国家主権は必ず弱くなる。それを越えて安定化を目指す必要がある。

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