コロナ3年目を考える

hagi2021/12/28(火) - 11:00 に投稿
ニューヨーク・タイムズのコロナダッシュボード

ニューヨーク・タイムズの2021年12月27日付データによると、ニューヨーク市で約5万5千人がテスト陽性となった。ニューヨーク市の人口は約880万人だから、たった一日で0.6%。待機期間を14日とすると、何と8.7%、11人強に1人が社会活動に参加できないことになる。航空機で考えると、機長と副機長が両方陰性である確率は83%となるので、バックアップがなければ17%の飛行機は飛べないことになる。繁忙期だとバックアップの手配ができずに欠航になるのは当然のことだ。マクロで考えると、15%程度リソースに余裕を持たせないといけない計算になる。

一方で、個人の視点で見ると、99%以上は無事に回復するから、運が悪くなければ死なない。11人強に1人が感染する病気となれば、もう感染してしまうこと自身は珍しいことではなくなる。人混みには、まず無症状あるいは軽い風邪程度と考えている感染者がいる状態だから、街に出れば確実にウイルスに暴露する。感染するか否かは運だ。もちろん、慎重に行動すべきだが、「なんか、もう無理」感は強いだろう。かかったって死ぬのは100分の1以下と思えば、もういいかという気分になる人はいるだろう。

エストニア、タリンの街で感じたのは、ショッピングセンターや公共交通機関等ではマスク着用は必須となっていて、ほぼ守られている。しかし、ルールが設定されていないところでは、マスクをしている人は多くない。日本に比べると格段に感染者が多いのだが、日本ほど感染防止の意識は高くない。ある意味で、コロナは日常なのだ。自分の思いに合わせて適切と思われる行動は取るが、運が悪ければあきらめるといった感じがするのである。ニューヨークがどうかはわからないが、自分が100-8.7=91.3%に入る程度の運があり、さらに万が一かかっても99%側にいることを信じれば行動は緩くなる。コロナにかかる人は更に増えるが、自分自身にだけ注目すれば99%死なない事実は医療崩壊しない限り変わらない。感染が広がってしまうと、皮肉なことに、もう良いかという誘惑は強くなってしまうのである。コロナと戦って制圧できると考えるのをやめてしまえば、共存の道を選ぶしかない。しかし、オミクロン株の感染力は半端ない。再感染もするので、マクロで見れば治せるとしても不健康な人の比率が無茶苦茶高い未来が来てしまう。

日本では、今のところ感染防止に意を尽くさない人の方がマイノリティで緩い意味で反社会勢力とみなされている。だから内心、もう勘弁してほしいと思っていても、人の目のあるところでは対策に従う。第5波がなぜ収束したのかは今もってわからないが、日本では今も制圧できる可能性はあると多くの人が認識しているだろう。多分、それは幻想なのだが、その幻想が行動抑制には効いている。

さて、コロナも武漢から数えて3年目に入った。ここらで、もう一度未来を考える時期を迎えているのではないだろうか。

日本を含め、実質的にゼロコロナを目指している国は少ないわけではない。欧州、米国は、もうコロナ制圧はほぼ諦めているように見える。経済的に見ると、行動抑制による生産性の低下と不健康による生産性低下はどちらのダメージが大きいかはわからない。行動抑制で人命を守りつつ、その制約の中でどこまで生産性を上げていくことができるかを模索していくアプローチと、動ける人がガンガン動いて病人が出ても先に進めていこうとするアプローチのどちらが良いかは意見が分かれるだろう。私は個人的には、前者を好む。同時に、移動の自由をとても大事にしたいと思っている。自分の過ごしている環境と違う場所に行くことで得られる刺激、快感を強く感じるからだ。

ベトナムに通っていたときは、ソフトウェア会社の経営者が、弁当を従業員に提供していた。聞いてみると、街で買うとお腹をこわす人が多いので会社にとって損だと思うからだと答えが返ってきた。従業員を大事にしつつ、業績を高めようという話だから素晴らしいことだと思ったのを今も忘れられない。ネパールに通っていたときは、それなりの頻度でお腹を壊したので病院に行っているという話を聞いた。具合が悪ければ集中できないから、その時は仕事にならない。しかし、病院にいけば何とかなるという医療への信頼は確かにあったして、カトマンズの医療への日本の貢献について、しばしば感謝されたのを覚えている。ニューヨークに住んでいた時に感じたのは、金を払えば日本より高水準の医療サービスを受けられるが、金がなければ助けてもらえないし、本当に命に関わるような状況でなければ救急救命も受け付けてくれない医療システムの実態だった。皆保険もないから、失業中に体を壊せば破滅の危機だ。私が見た範囲は狭いし、住んだ経験はニューヨークしかないから客観的な意見など持ち得ないが、私は相対的に見れば日本は民の健康をとても大事にしていると思うし、それが従業員の執務の安定性、信頼性を高めていると感じている。日本の中から見ていたた時には当たり前のこととしか思っていなかったことが実はとても素晴らしいことだと外に出て気が付かされた。

私は、8.7%がコロナのために社会活動に参加できないような未来は望まない。99.9%は自由に活動できるようであってほしいと思うから、稼働できない人は12万人、濃厚接触者を広めにとって100人とすれば、1200人程度の陽性者、抑制期間を14日とすれば、日時陽性者は86人程度、捕捉率が5割だとすると陽性判明者が43人といったところが適当なハードルなのではないかと考えている。濃厚接触者を10人とすれば、430人になるなど条件の設定次第で目標数値は大きく変わるが、数値目標を作ることは可能だし、3年目ともなればその目標を達成するためにやるべきことは大分わかってきていると思う。もう1年単位でゼロを目指すのは無理になっている米欧の現実は認めないわけにはいかないから、このあたりの目標設定が実質的には当面のゼロコロナ目標と言ってよいだろう。目標を決めれば、必要な検疫施策も定まるから、安全に外国の人を迎え入れることもできるようになる。事前検査を強制できれば、多分、3日程度の強制隔離で十分だろう。日本に入るにはハードルがあるが、日本に行くことで不健康になる確率は極めて低いということになれば、来る人は増えるだろう。リモートでできる仕事が大幅に増えている今、制約が少なく、安全、安心な国の価値は小さくない。1、2年も経過すれば、そのシステムに従う国も出てくるだろう。強権的な方法ではなく、科学的根拠に基づいて健康を大事にする国はひとつの理想になり得ると思う。大分傷んでいるとはいえ、民主主義は健在で、人権問題も遅くて物足りないが良い方向に向かっていると思う。外を向いて、理想を目指す気持ちが生まれれば、きっと未来は開けていくと思う。外敵を想定してまとまるのではなく、目標とされる国を目指してまとまるほうが良い。自然と、古くて時代にあわなくなっていることは他国の良い取り組みを取り入れて生まれ変わっていくことになるだろう。私は、対コロナで良い線を行っている今が生まれ変わりのチャンスだと思う。きっとやれると信じたい。

コロナ3年目はそれぞれの国が、それぞれの長所を生かして、それぞれが健康増進に資する社会システムの構築に本格着手する時期であってほしいと願っている。動きが始まれば、協力関係も生まれてくるだろう。まだしばらくは、キーはITだと思う。