Nepalの知人と久しぶりにZoomした

画像はWHO COVID-19 Explorerのアメリカ、インド、ネパール、日本の人口あたりのグラフである。

仕事の関係でカトマンズには2013年から17年までの間で10回以上通っていた。行きつけのホテルもコワーキングスペースも出来たし、自分の足でも相当時間歩き回ったからある程度土地勘もある。カトマンズ大地震後にも行ったので、ドイツ製や中国製のテントが大量に展開されていた景色も見た。統計的にはかなり貧しい国ではあるが、自分が小学生だった頃の東京のようなこれから経済成長が起こりそうな力強さを感じる街である。一色に染まったネパール人の国ではなく、ネワール族をはじめ多様な民族が共存している国であり街だ。「一丸となって」という言葉はそぐわない。しかし、多様性の中で節度を守ることの重要性が理解されていると感じたのを思い出す。日本と少し違うと感じるのは病気や死との距離だ。もちろん、コロナを恐れる気持ちに変わりはないが、病や死がどこか日常生活に隣接しているように感じる瞬間がある。

日本ではインドの大変さは報道されていたが、ネパールもインドとほぼ同じように推移していた。今日話した相手はカトマンズ在住で、この前の波を第2波(正確には2nd lockdown)と呼んでいた。昨秋の第一波の時はパニック状態だったという。二回目は医療用酸素の不足など大変な状況だったが、一回目の経験もあってロックダウンで乗り切れたと言っていた。被害は大きかったが、社会的インパクトは一回目のほうが大きかったとのことである。勝手な想像だが、彼の地での行動はコロナや死を意識しつつ、命を大事にする思いに基づいているのではないかと感じられた。命は自分たちで守っていくものと考えていて、政府への期待度は日本に比べると低い。

日本では総理が「国民の命と安全を守るのが私の責務」と勇ましいことを言うが、実際には命を守れるか否かは一人ひとりの行動にかかっている。政府が実際にできるのは、命を守るために行動する民を支援することだ。カトマンズの景色を思い出すと、なぜインドやネパールでロックダウンが機能したのかがなんとなく分かる気がした。政府への要望はあっても政府への期待度は低く、自分たちの命は自分たちで守るしか無いと考える。だから、接触を減らさなければ感染爆発が止まらないということが伝われば能動的に動くのだろう。日本だと政府がちゃんと動かないから感染拡大が止まらないのだと考えてしまうが、彼の地では心の状態が異なる。

改めて、人口比での新規感染者の推移を見ると2回目は急峻な立ち上がりはあったものの一気に抑える取り組みは上手く行っているように見える。彼はロックダウンをやれば次の波が来ても止められると思っている。ロックダウンが強制的なものだからという解釈は成り立つが、私はネパール政府が民の意思に反することを強制できるほど強いとは思えない。ネパールのロックダウン宣言が日本の緊急事態宣言とそれほど大きく違う感じはしない。むしろ、ネパールではそれは自分事で自分たちの責任で守らなければ命が守れないと考えているに対して、日本では命を守る責任は民ではなく政府にあり、緊急事態宣言≒自主ロックダウンを自分事と考えられていないという差のように思われる。

日本も一回目のパニック時は自分事だった。怖さ以外は良くわからない状態で、科学者がこうすれば命が守れる可能性が高いとした情報を自分事として守ったのだと思う。今は、自分たちの問題というより政府の問題で政府の失策が問題で民には責任がないという状態にあるのだろう。多分「国民の命と安全を守るのが私の責務」というメッセージが根本的に間違っているのだ。スーパースター(歴史的に見ればやがて独裁者に変わるヒーロー)を求める群集心理が育ってしまっているということで、かなり危ない状態と言える。愛国心の罠に落ちつつあるといえるかも知れない。

ちなみに、ネパールの場合は都市部以外は自給自足度が高いので、ロックダウン耐性は高いそうだ。つまり、街を閉じてもそれほど影響は大きくないということだ。示唆に富む。分業化が進んだ都市や国のほうが、行動抑制は難しくロックダウン耐性は低いのかも知れない。

日本政府は「国民の命と安全を守るのが私の責務」などと虚勢を張らずに、情報を十分に開示し、できる可能性があることを明らかにして欲しい。例えば、飲食店を悪者のように扱うのでなく、どの程度のリスクがあるのかを明らかにして、客が自律的に好ましい行動が行えるように誘導するとともに、店に権限を与えた方が良い。中央で制御しようとしても無理がある。主権者を甘やかして自分で考えるのを止めさせるような施策は許されてはならない。権力の掌握を目指すのには都合が良いかも知れないが、その施策は国を滅ぼし民を殺す。こういう時期だからこそ、施策の透明性を高め、リーダーの思いつきを許さないようにするのが正解だろう。

いろいろな見方があるのはもちろん承知しているが、新型コロナとの戦いは、一度思い切ったロックダウンをやってゼロまで落としから、慎重に保健所が追跡調査ができる範囲にある間は緩和して、超えたら再ロックダウンを行う施策しか無いように見える。ゼロを維持することは極めて難しいが、産業界や世論の緩和圧力に負けて実質ゼロを見る前に緩めれば結局コロナに負けるということなのだろう。ワクチンで止まらないことは、すでにワクチン先進国で証明されてしまったので、ロックダウン解除条件を厳しく設定して、ゼロコロナを目指すのが適当だと思う。多分、結果として安くつく。いずれにしても、新政府は「国民の命と安全を守るのが私の責務」などと虚勢を張るのはやめて事実を誠実に開示し、一人ひとりに考えてもらえるように方針を変えるところから始めて欲しいものだ。コロナ対応を自分事にできる国に変わることを望む。