2011年8月25日の18:13にFacebookノートで以下のメッセージを書いていた。いつからか限定公開を公開設定に変更してある。今年は10年目。10年無事に生き残れていることに感謝している。2011年は1月2日にアメリカ赴任から帰国した年であり、3月には東北大震災があった。当時の勤務先では同世代の社長が生まれた年でもあったので、向かい風の吹いている時期ではあったが、凹んでいたわけではない。実は、この事件も大事だとは感じていたものの、どこかでなるようにしかならないと考えていた。今、改めて読み直すと淡々とした記述だと思う。当時は役員だったとは言え雇われ人だったことが良く分かる。会社との関係で自分を捉えていた。
生まれて初めて救急車とERの世話になりました
友人限定で告白、他言無用にてお願いします
今朝、倒れました。
今朝、7:30に出社し、7:50頃トイレに立った後軽い変調を感じ、事績に戻って8:00頃に座っていられなくなってオフィスの床で這いつくばっていたところに若者が出社し救急車を呼んでもらいました。意識ははっきりしていましたが、動くことはできませんでした。聖路加に搬送されCTを取るなど諸般の検査を行った結果、一次性の脳虚血と診断され、特別な処置はせずに約2時間で回復しました。会社によって荷物を取って関係者にあいさつして帰宅、ちょっと寝て起きたところです。床に這いつくばっている時には死ぬかと思いましたが、無事復活しましました。3年ほど前から無自覚の心房細動で月1通院しており、明日が通院日なので先生とも相談します。
物理的には勤務時間も減ってきているし、睡眠も過去よりはとれていますが、やっぱり過労なんだろうなあと思います。自分がやらなければならないことに集中して、もっと部下を信頼して仕事を任せなければいけないと思ったのでした。奇麗事のようだけど、日常的にはいなくても平気な人になった上でなお必要とされるような仕事をしたいと、心から願っています。身体的な信頼性が失われることで減る機会もあるでしょうが、これも自分の人生、なるようになる、なるようにしかならないと思いつつ、明日からも歩みを進めていきたいと思います。
主に感謝
ライブ感覚がある今だから書けることかもしれないので書き留めておくことにしました。
この脳虚血の経験は強烈だったので、その時「一度死んで生き返ったのだから、これからは本当に良いと思うことだけをやろう」と考えたことを忘れていない。もともと頑固な方だが、思ったことは間違いであることが分かるまでは基本的に取り下げないようになった。10年を経てその傾向はさらに強くなっていると思う。将来変わるかも知れないが、それが私というものだろう。
毎年、8月25日はこの事件を思い起こす日である。毎年、まだやれることがあるのにこの一年も随分さぼってしまったなあと振り返ることになるが、昨年、今年はちょっと違う。コロナ禍はきっかけだが、時代が動き始めたと感じている。
今年は9.11から20年目の年でもあるが、私個人としては、むしろあの大事件の少し前にASPの端緒が開いたCORIOと共に動いていたことを思い出す。私の生きてきた時期は、ずっと情報技術革命と共に変化してきているのだ。1997年頃からかなりの頻度でシリコンバレーに通うようになって、Googleが創業する前あたりからの激動期を見ていた。新しいことが本格的に形になるまでにはしばしば長い期間を要するし、フロンティアはほぼ消える。2001年頃はスタンフォード大学がBIO-Xを立ち上げかけていた時期だ。私が今の呼び名で言うクラウドサービスをASPという名前で追っていた頃に彼の地では既にBIOに焦点があたり始めていた。ゲノム技術は生命科学と情報技術が融合してブレークしたもので、今週接種したBIONTECHのワクチン(1回目)も情報技術進化がなければ存在していないだろう。コロナ禍で一気に表舞台に立ったが、医療技術、生命科学の変革は既に20年前には既に大きなうねりが起き始めていたものだ。今後さらに大きく成果を生んでいくのは間違いない。古いものは消えていく。この齢になると新しいものが古いものを大事にしなければ道に迷うことも強く感じるようになった。温故知新と言う言葉があるが、私は新しいことをまず見つめた上で、古きものを見るほうが自分の気質にあう。新しいことが動き始めると、その地に人が集まってくる。その地に行くことで新しいことを見つめながら古いものを見直すことができる可能性が高まる。
自分の足で、新しいことが起きている、起きかけているように見える場所に行って、自分の目で見ることはとても重要だ。
リスクを評価しつつ、リスクを負って新しい旅に出る日が待ち遠しい。まだかなりの時間がかかるとは思うが、生きていれば毎日新しい朝がやってくる。ワクチンでもとの生活習慣に戻す(時計の針を戻す)ことはできないが、やがて検査の容易化が進み、治療薬や発症予防薬が充実してきて、個人としても社会としてもリスクが許容できる範囲に落ち着いてくる時期は来ると思う。ただ閉じこもっているだけでは未来は拓けない。オンライン会議など、リスクを低減させることのできる技術は当たり前のように使いこなしながら、重要と思う場合は、リスクを取って人に会いに出る道を探ろうと思う。時計の針を戻そうとするのではなく、ニューノーマル仮説を検討した上で新たな道を探りたい。
短期の旅は、徹底的なガードで制約を我慢しながら乗り切るものになるかも知れない。しかし、経験的には緊張状態が融けない中での交流から得られる知見は少ない。互いにある程度くつろいだ状態の方が実りは多く、旅はリモートワークを継続しながら行う長期滞在型に変化していく可能性がある。良い地が見つかれば、それほど遠くない時期に新たな出会いが得られる日が来るかも知れないと期待している。
※画像は1年後の8月25日の写真。ザルツブルグで旅していた。