矢内原事件

今日、終戦記念日を意識した引退教師の説教で矢内原忠雄氏の話が出た。私が1歳の時に亡くなった方なので、私にとっては歴史上の人物の一人である。私が洗礼を受けた浅野順一牧師とは親しい関係にあったと聞いていたので気になる存在ではあったが、ほとんど彼の発言や成果に関する知識はない。英語版のWikipediaでは「Tadao Yanaihara (矢内原 忠雄, Yanaihara Tadao, January 27, 1893 – December 25, 1961) was a Japanese economist, educator and Christian pacifist. 」と経済学者であり、教育者であり、そしてキリスト教平和主義者であると書かれている。

日本語のWikipediaでは、矢内原事件は「1937年(昭和12年)、盧溝橋事件の直後、『中央公論』誌9月に「国家の理想」と題する評論を寄せた。国家が目的とすべき理想は正義であり、正義とは弱者の権利を強者の侵害圧迫から守ることであること、国家が正義に背反したときは国民の中から批判が出てこなければならないことなど、今日では日本でも常識化した民主主義の理念が先取りして述べられていた。」と書かれている。矢内原事件に関連して「結局1937年(昭和12年)12月に、事実上追放される形で、東大教授辞任を余儀なくされた」ともある。

1937年当時美竹教会の牧師だった浅野順一は聖書と民族という書籍を出している。『矢内原忠雄と中国』という論文によれば、前年「1936年11月14日,矢内原は「民族と平和のために」と題する講演を日本基督教会美竹教会で行い」とある。矢内原は抗い続けて仕事を失ったが、浅野は抗いきれなかったと後に懺悔していたと今日の説教でコメントされていた。もちろん、個人の判断を攻めることはできない。しかし、浅野順一でも「国家が正義に背反したときは国民の中から批判が出てこなければならない」を進められなかったのは残念なことだし、今から見れば、ひとりひとりの力は弱くても抗う力は必要だったと思われてならない。

矢内原忠雄に関しては、Wikipediaの日本語版と英語版はかなり内容が異なる。英語版では生涯に関する記載に続いてシオニズム支持(≒イスラエル入植政策)と植民に関する記載となっている。国家的ナショナリズムよりは正義を重んじた一方で、宗教的ナショナリズムは強く、キリストによらねば平和は来ないという考え方を現実社会に適用しようとしたという評価もある。天皇を改宗させたかったという話もあるようだ。

彼は植民地政策学を担当しており、東大では終戦後国際経済学への改称されている。現代であれば植民地政策などという上から目線は許されるものではないが、技術を供与し自立を促し同時に宣教を行うというキリスト教の伝道の歴史とは通底するものがある。良い面もあるが、搾取の種も撒いてしまう。恐らく彼にとっての植民地政策学は、搾取を思考したものではなく、むしろ民衆の自立を助けるものだったと考えたい。しかし、そういう善意はしばしば権力を志向する人から食い物にされてしまう。矢内原事件は、第一義は弱者の自立あるいは保護であって支配や搾取を目指してはいけないという強い怒りがあったのではないかと想像する。

「正義とは弱者の権利を強者の侵害圧迫から守ること」は日本国憲法前文の「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と軌を一にするものだと思っている。私は憲法を変えてはいけないとは思っていないが、前文の精神を守るという点は譲りたくない。

私はキリスト教の信者で福音の宣教義務を負っていると自覚するものの、人々をキリスト教徒一色に染めれば平和が来るとはとても思えない。キリスト教は自立の助けになると思っているし、キリストによらねば平和は来ないという信仰もあるが、それはキリストを信じない人を差別することになることを自覚している。むしろ政教分離を進めて「正義とは弱者の権利を強者の侵害圧迫から守ること」という人権の思想を社会の共通規範にするためにできることを追求することが平和への道だと考えている。時代とともに正義も変化する。自分が正義と考えることも今の正義に過ぎない。その限界を承知の上で、誤りを修正しながら正義を目指したい。

蛇足になるが、私は今「牧師(および書紀役員を筆頭に当時の役員)が正義に背反したときは信徒の中から批判が出てこなければならない」と考えて浅野順一が始めた砧教会の現主任教師である金井美彦氏と争っている。スケールは遥かに小さいが、真実に向かう姿勢には覚悟が必要だし、どこまで耐えられるかはわからない(一度は逃げた)。それでも使命感を感じたら引いてはいけないと考えているし、恐らくそれが破綻しない未来への道だと考えている。金井氏は会衆の前であなたの正義には辟易とすると言い放ち、私に対して教会(運営)は独裁で良いと考えていると言い、会話の継続を拒絶した。私は、彼が正義を目指す牧師となって欲しいと願っている。