新生活41週目 - 「ナザレで受け入れられない」

今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第14主日 (2021/7/4 マルコ6章1-6節)」。新共同訳では「ナザレで受け入れられない」という見出しがついている短いが印象的な箇所だ。マタイ伝の並行箇所は13章53-58節で、「種を蒔く人」のたとえから始まる一連の説教と解説の後に出てくる記事だ。マタイ伝でもマルコ伝でも洗礼者ヨハネの死の前に出てきている。

福音のヒント(1)で、「イエスの育った故郷は、ガリラヤのナザレという村でした」とある。洗礼者ヨハネの活動拠点は、死海の近くでナザレの南方約100km、ガリラヤ湖は北東30km程度の位置にある。wikipediaの記述では、イスラエルの北部地区の中心地とあるので住める場所なのだろう。WeatherSpark.com情報によれば、標高は358m、ガリラヤ湖との標高差は500m程度、3km以内の最大標高差が391mだから、相当な勾配のある地ということになる。気温は3度~33度を外れることは無いと書かれており、氷点下になることも猛暑日もない。1842年のナザレを書いた絵を見ると、緑が少ないが、現在の航空写真を見ると、山を降りれば農地が広がっているので、水がなかったわけではないだろう。当時は、直径1km以内の街だったのではないだろうか。地中海まで30km強(カイザリアまで40km強)なので、商流の拠点の一つだったのかも知れない。恐らくただの田舎ではない。交易の通過点だったと考えると、人の動きがあって情報も豊富だったはずだ。商人が宿泊する街だったとしたら、飲食を提供する施設があり、様々な噂話が流れていただろう。遠くバグダットの噂も、ギリシャの噂も、ローマの噂も流れていて、異国の不思議なものにも接する機会があったかも知れない。その地に生まれた人の多くはそういう情報に触れながらも、拠点を移すことはないと思われる。仕事があって生活が成り立っていれば出ていく理由がない。しかし、若者の中にはそういう情報に影響を受けて自分の目で見に行きたいと考えた人は少なくはないだろう。勝手な想像に過ぎないが、イエスは様々な噂に接しながら、洗礼者ヨハネに会いに行く決断をしたと考えると納得がいく。

イエスのガリラヤでの活動は、そういった噂話の一つとして、ナザレの地にも伝わっていたと考えるのは自然だ。そのイエスがナザレの出身であることは知らなかったかもしれないが、噂のイエスがやってくるということになれば、ざわつきはあっただろう。街に来るのであれば、見てやろうではないかという話になるのは想像に難くない。実はヨセフとマリアの子供だったという話が伝わるのはあっという間だろう。あの家から、奇跡を起こす男が生まれる理由がわからないという感想を述べる人が出ても不思議ではないと思うのである。もう少し、深堀りした情報通であれば、イエスはナザレを出てヨハネ教団に入って修行し、秘技を身に着けたのだと言ったかも知れない。因果律で考えれば、スーパーパワーの源泉は出自か行動かのいずれかにあることになる。

ここで聖書箇所を引用させていただく。

福音朗読 マルコ6・1-6

 1〔そのとき、〕イエスは故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。2安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。3この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。4イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。5そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。6そして、人々の不信仰に驚かれた。
 それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。

シナゴーグには管理主体があったはずで、ユダヤ教のリーダーがプログラムを決めていたと思われる。今日のキリスト教会になぞらえれば、イエスは客員説教者として招聘されたことになる。この記事を読む限り、その説教はインパクトが大きかったのだろう。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。」は自然に考えればヨハネ教団で学んだとするのが適当で、出自に意識が及ぶと鳶が鷹を生む感が高まり、一見鷹だが本当はただの鳶なんじゃないかと考える人もいたに違いない。その人の属性に基づいて行動あるいは結果を評価すると実態を見失うことがあるということだ。悪人から悪事が出るとかヒーローは過ちを犯さないといった現実に反する推論を行ってしまうのである。

福音のヒント(3)ではカトリックの解釈に従って、マリアは生涯処女でイエス以外の子がいなかったのでマリアの息子はいとこを意味すると書いているが、私はそうは思わない。ちなみに、日本基督教団の使徒信条には以下のように書かれていて私はこれまで繰り返し唱えてきた。

我は天地の造り主(ぬし)、全能の父なる神を信ず。我はその独(ひと)り子(ご)、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女 (をとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇(のぼ)り、全能の父なる神の右に坐(ざ)したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしへ)の生命(いのち)を信ず。
アーメン。

これは、教団がここに書かれている解釈を共通理解として歩みを続けることとするという表明に過ぎず、人が作ったルールである。本日の聖書箇所を読む限り、イエスの父ヨセフも母マリアは特別な人間と見られてはいない。本音を言えば、私にとってはイエスが処女降臨であったかなかったかはどうでも良い。教団につながる教会にいるのであれば、そういう解釈に従うのが現実と考えているのであって、「処女マリヤより生れ」という解釈を否定しないということだ。私が誰かから問われれば誠実であろうとすると事実は分からないが、私はこの使徒信条を是としているので処女降臨が事実だと主張していることになることを自覚しているとでもなる。カトリック教会は丁寧にルールを積み上げてきた歴史の上に現在があり、ずっと正統と異端の境を追求される立場にあった。だから、解釈の自由度は狭い。マリアは生涯処女でイエス以外の子がいなかったと思えない奴は仲間じゃないということになるがどうもしっくりこない。

私は、自分が何者かより自分が何を行うかを重視しなさいとイエスに言われていると考えている。だから誰かが何者かにこだわり過ぎてしまうと道を誤ると考えている。今日の箇所ではイエスは「そして、人々の不信仰に驚かれた」と書いてある。イエス自身が驚いたということは、自分の言葉が届かなかったという事実への落胆だろう。先入観の壁は高いのである。

そのあたりのことは、福音のヒント(6)に解釈が書かれている。残念ながら、そんなものかな、と感じた程度であった。

今日の箇所には「そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった」とあり、結果はでなかったという評価を記している。結果がでなかったのは不思議なことだ。受け手が望まなかったから結果がでなかったという解釈には釈然としない物がある。拡大解釈すればユダヤ教のコミュニティではイエスの働きはあまり効かないが、異邦の地では大きく働くことを示唆しているのだろうか。外に出ていかなければ成果は得られないという教訓だろうか。ガリラヤ湖の向こう岸で大きな奇跡を行い、こちら岸に戻って強い願いに応え、故郷に戻って活動しようとしたら成果が出なかった。この後の箇所は弟子を派遣する記事になる。ふと「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」という箇所が思い浮かんだ。イエスは、ナザレを出て鍛錬の時期を経てガリラヤで活動を開始し、ナザレに戻ってみたら居場所がないことに驚き悲しんだと取ることもできる。伝道に取り掛かったらもう戻る場所はないというナザレ訪問の体験を経て、イエスに新たな得心(Aha!)が生じフェーズが変わったのかも知れない。そう考えると、この箇所がとてつもなく重く響いてくる。破滅の始まりということとなり、同時に完成の始まりと捉えることができる。

最初に短いが印象的な箇所だと書いたが、今日の時点での私の解釈に至ることなど全く予想していなかった。今、私はどこにいるのだろうか?

※画像は1842年のナザレの絵wikimedia Nazareth the holy land 1842から引用