今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第13主日 (2021/6/27 マルコ5章21-43節)」。
今日の箇所の前、5章1節からは「悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす」という題がついている。ガリラヤ湖の東岸、訪問した場所はゴラン高原のゲルゲサと推定されている。現在のガリラヤ湖畔は-200m程度、ゲルゲサは350m程度で、湖畔からの距離は5km強なので、平均勾配で10%。恐らく、相当の急坂があるのだろう(イスラエル・ヨルダン旅行記 6月7日 - ヨルダン北部参照)。
5:12 汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、
乗り移らせてくれ」と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、 豚の中に入った。すると、 二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、 湖の中で次々とおぼれ死んだ。
子供の頃、なんだかよく分からないが、霊に憑かれていた男が回復したので良かったと思ったとの記憶がある。この箇所の最後の部分には、
5:20 その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。
とある。今考えると、異邦人伝道のはじめだったと読むことができる。前週、「向こう岸に渡ろう」というキーワードが取り上げられていたが、ギリシャ文化にイエスの影響が及んだ最初のシーンだったのかも知れない。イエスの一向に加わっていれば、その人にとっての救いがそれだけだったのが、ギリシャ植民地に留まったことで歴史が変わったとも言える。彼はイエスの死の一報を受けた時どのような反応をしただろうか?
どのような事実があったかは分からないが、彼の実体験としてイエスが本物だと感じていたとすれば、少なくともその瞬間に彼の人生は変わったはずだ。一向に加わることは許されなかったことにがっかりしただろうが、それが逆に新たな道につながった。その瞬間の変化がどの程度の期間維持できたかは書かれていないが、感動が薄れていたとしても、イエスの死を知って再びその経験を思い出しただろう。ひょっとしたら、誰かが小説にしているかも知れない。「ゲラサ人 小説」でググったら「【マルコ5章】レギオン(みんな)という悪霊からの解放 … 人に飼われる社畜は、神に養われる羊に」というブログがヒットした。この箇所と『桐島、部活やめるってよ』を結びつける発想が興味深い。後日談を小説にしたものは見当たらなかったが、様々な解釈とともに書かれてもよいのではないかと思う。
ここで福音朗読を引用させていただく。
福音朗読 マルコ5・21-43
21〔そのとき、〕イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。22会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、23しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」24そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。
25さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。26多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。27イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。28「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。29すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。30イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、
「わたしの服に触れたのはだれか」
と言われた。31そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」32しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。33女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。34イエスは言われた。
「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
35イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」36イエスはその話をそばで聞いて、
「恐れることはない。ただ信じなさい」
と会堂長に言われた。37そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。38一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、39家の中に入り、人々に言われた。
「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」
40人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。41そして、子供の手を取って、
「タリタ、クム」
と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。42少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。43イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。
「再び向こう岸に渡られると」とあるので、イエス一行は、ガリラヤ湖西岸、同胞の地に戻ったことになる。
福音のヒント(1)で何度も「汚れる」という言葉が出てくるが、現代の概念で言えば、そもそも公衆衛生上の必要から出た規定だと思われる。伝染性のある病か否かは、今のようにはわからないので集団を維持するためには危険を避けるために同じ場所に集うことを許さないようにするのは合理的な判断だ。一方で、仮に伝染性の病に罹患していたとしても、その人は一人の人間である。単に運が悪かっただけだ(リスクのある行動があったかも知れないが、同じ行動をとっていても運の良い人は感染しない)。法による排除が規定されてしまうと、社会参加は困難で、さらに深刻なのは、いわゆる健常者から憐れみや侮蔑の情をもって差別されてしまうことにある(改めて考えると健常者という言葉は嫌な言葉だ)。キリスト教会は、味方か敵かを区別しない病院を作ったり、福祉施設を作ったりしてきた実績はあるが、果たして関わったどれだけの人が同じ人間として助け合うという視点に立てているかは疑わしい。それでも、福祉が進むならそれでも良いのだろう。
公衆衛生上の要請から制度化したとしても、福祉の増強に向けて制度化したとしても、立法化には毒が交じる。多数を守るために犠牲者を許容するのは制度的にはやむを得ない部分もあるが、支配者になるために本当は多数ではない少数に有利な法にじわじわと修正されてしまうことが起きる。支配指向の法整備と人権指向の法整備は共通部分と相容れない部分がある。そして、支配を目指す人はいなくなることはない。
福音のヒント(2)、(3)の解釈に異議があるわけではないが、私は信仰の有無に帰着させるよりは、イエスがよりよく生きるためにあきらめない姿勢を愛したと考えたい。彼女の体験は、もちろん彼女の人生を変えただろう。その後の困難もあっただろうが、一回の体験は人生を変える。
原点は癒やされたいという個人的な思いであっても良いのだろう。イエスは見返りは求めない。癒やされる体験の連鎖を推奨する。善意の連鎖だ。常に愛の原点に立ち返る必要がある。イエスの衣に触れる女は自分の問題に立ち向かったが、ヤイロの娘の両親は自分自身の問題ではなくあきらめない親の愛に基づくものだった。体験の後、彼らの愛が外に向かったと信じたい。
※画像は麓のKursiからゴラン高原を見上げたものwikimedia参照。