今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「復活節第3主日 (2021/4/18 ルカ24章35-48節)」。新共同訳では、13節から35節に「エマオで現れる」、36節から48節に「弟子たちに現れる」という見出しがついている。
エマオ(wikipediaのエマオ)は、テルアビブとエルサレムの真ん中編の場所と推定されている。Googleマップで計測すると直線距離で23km程度。聖書の記述の60スタディオンは約10kmだから少々遠い。いずれにしても、徒歩で一日で移動できる距離だ。エマオという地名は恐らくルカ伝にしかでてこないが、平行記事にマルコ伝16章12節からの部分がある。エマオへの道というのは印象的な話で、賛美歌21の57番「ガリラヤの風かおる丘で」と組み合わせて記憶に残っている。
今日の箇所のメインは先週のトマスの話の別バージョン。ここで、福音のヒントから福音朗読の部分を引用させていただく。
福音朗読 ルカ24・35-48
〔そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、〕35道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
36こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。37彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。38そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。39わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」40こう言って、イエスは手と足をお見せになった。41彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。42そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、43イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
44イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」45そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、48あなたがたはこれらのことの証人となる。」
福音のヒント(3)にあるように「彼らの心の目を開いて、言われた」というところが印象に残る。私達は、たくさんのものを見ているのだが、ほとんど見えていない。マタイ伝7章5節「偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」という記述がある。この部分は「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。」から始まる山上の垂訓の一部である。自分は見えている、だから裁く権利があると考える人のことをイエスは偽善者と呼ぶ。情報は提供されているが、「心の目」が開かなければ見えるようにはならないのである。
※写真はエマオの古跡wikimediaから引用