父が2020年11月15日17時05分に直接死因:うっ血性心不全で亡くなって56日が経過した。最期は、老健施設だった。寿命による自然死だったと思っている。2年ほど前から自分で様々な準備をして、1年強前には公正証書遺言を作成し、生きている間は年金が受け取れて家族にも経済的な貢献ができると言いながら前を向いて生きていた。
父に見えていた世界はどのような世界だったのだろうと考える。多治見から東大に進学して三井銀行に入り、私が幼児の頃はシンガポールに単身赴任していた。その時の経験を匂わせながら、中国人は嫌いだと言っていて、私が中国の将来性に期待している話をすると顔が曇っていたのを思い出す。
父が私に見せてくれていた世界は、エリートな父に守られていた社会であった。客観的に見れば、決して富豪だったわけではないが、お金で苦労したことはない。今、振り返ると、父母がかなり無理していたのが分かるが、子供の私にはそんなことは分からない。父の実家は大きかったが、借地だった。池の周りには、ハンミョウがいた。子供の時には広大な山だったが、実際の借地のエリアは思っていたより随分小さかった。人口増加と開発が進む内に現実が見えるようになった。同時に、父がどれだけ努力していたかも見えてきた。とてもかなわないと思った。
父と第三者を交えた最後の会食は加藤宏氏とのものである。ディスコ社の加藤宏氏は、とても父のことを大事にして下さっていた。父より一年ほど早く旅立っていったが、その前にハンガリーの大学教授を紹介してくださるなど私にたくさんの機会を与えて下さった。それも、父のおかげである。ボキャブラリーが足りなくて良い表現が見つからないが、父は「成り上がり」だと思う。私にはない成り上がりの強さと、経験に基づくものなのか、とんでもない優しさがあった。その優しさは、挑戦するものを温かい目で見る能力でもあったと思う。厳しい目で見ながらも、加藤宏氏を愛したのだと思う。その愛が、私に返されたのだと思っている。
価値観の違いもあるし、親だからこそ許せないと思ったこともあった。しかし、父の愛は大きかった。