教会は誰のものか?

今日はクリスマス。今年は、6月7日で全く景色が変わってしまったが、それでもクリスマスは来る。おかげて、砧教会の人々を思い出して平安を祈る機会を与えられた。

「教会は誰のものか?」は、二重性を持つが、一義的には「神のもの」と考えるのが適切だろう。少なくとも、牧師のものでもなければ、役員会のものでもない。どちらも、預かっている者であって所有者でも支配者でもないのだが、しばしば勘違いする。

ちょっとググると「教会は誰のものか?」という説教があった。「コリント教会が福音を取りこぼそうとしているのは、その不道徳や、教会内の諍い以上に、その熱心によって、自分は正しく、神に認められるにふさわしく成長したと胸を張ることによってなのです」が示唆に富む。自分の熱心さが破壊を招いたのかは分からない。

神は耐えられない試練を与えないと信じる。