今日はカテーテルアブレーション5周年記念日。水泳と歩数から、変化を見る

2008年から、水泳の記録をつけている。今月は何と31.9kmで一日平均1kmをこの記録を始めてから初めて超えた。実は2008年前半は1回4km以上泳いでいたのだが、9月に風邪で診察を受けたら、不整脈があることが判明した。それから3年後2011年に脳虚血で救急車に乗って、さらに4年後、今から5年前に心肥大傾向から判断して心房細動の治療のため、カテーテルアブレーション手術を決断した。油断は大敵と考えて今も定期的に主治医に診ていただいているが今のところ再発診断はない。気がつくと一回3km強にペースになっている。

データで追うと、2008年は114km。2009年はニューヨークに移転したので、3月、4月の遊泳はなく、記録もmで割り切れない距離で記録されている。四半期ごとの出張帰国時には日本でも結構泳いでいるが、年間は53kmと前年比半減。さらに2010年は29kmとさらに半減している。アッパーイーストのアスファルトグリーンには頻繁に通っていたつもりだったが、記録を見ると意外と少ないのが分かる。あの深い50mプールは忘れられない。

2011年に帰国、バタバタしているうちに東日本大震災もあって、初日は5月17日で年間距離は40km弱。心房細動、脳虚血の発作もあったが、一回1km+αを原則に泳いでいた。2012年は70回弱87km。2013年には94km、29年勤めた前職卒業は遊泳距離に特に影響を与えなかった。2014年は今の仕事でネパール通いを繰り返したこともあって56回78km。

2015年は前述のように徒歩5分の病院で手術を受けている。しかし、8月26日にも1km泳いでいて、9月12日には慣らしで300m、9月中に6回泳ぎに行っている。結局2015年合計では122kmと2008年を上回って最長となった。

その後、2016年166km、2017年157km、2018年194kmと順調に距離を伸ばし一回の距離も3kmを超える日が増えてきている。

昨年2019年は88回242kmとついに200kmを超え、一回あたりも2.75kmとなっている。

さて、今年2020年の実績は8月31日時点で36回109km弱。昨年の8月末は60回166kmなのでかなり少ない。コロナ前の最終日は2月18日、その次の遊泳は6月19日である。

実は、私がコロナ前の世界は戻らないと真剣に考えたのは5月末頃だ。それは、歩数に記録されている。2018年第4四半期からスマホで歩数を記録するようになったのだが、2018年、1019年の平均日次歩数は約12,000歩である。今年も1、2月は12,000歩台だ。3月になると商用と教会以外の公共交通機関利用はほぼ自制したので13,803歩と増加している。4月からは全く乗っていないが、4月の歩数は13,638歩と微減少。ところが、6月には14,000歩を超え、7月、8月は16,000歩を超えた。私は、概ね1分100歩だから、一日160分以上歩いたことになる。水泳のスピードは1km約20分だから、合わせると1日の運動時間は200分=3時間20分だ。それが私の考える新日常だ。今は、過剰方向に振れていると思うので、定常状態は3時間あるいは2.5時間で良いと思う。まあ、水泳15分、歩行14,000歩程度じゃないかと思う。

60年も生きていると環境も結構変わる。今思いだすのはバブル崩壊である。私はバブルの恩恵を受けたとは思わないが、服やライフスタイルに金をかけるのがカッコいいというような風潮は覚えている。その後のバブル崩壊の影響も個人としてはあまり受けた覚えはない。ただ、明らかに景色は変わった。1994年にジュリアナ東京(行ったことはない)が閉店し、祭りは終わった。私は2020年は、日本の1990年の世界版じゃないかと思っている。それなら、2008年のリーマン危機だろう言う声もあるだろう。しかし、経済的なインパクトも社会的インパクトも新型コロナの方が遥かに大きい。そして、ごまかし続けてきた温暖化、地球環境問題がこれから牙を剥くだろう。

バブル期の裏側では、日本ではJUNETがじわじわと育っていた。1990年末には最初のWebページが公開され、95年にはWindows 95が発売されて、今のInternet時代が離陸している。思い切って捨象すれば、全ての人が発信者になれる時代へのパラダイムシフトだ。

2020年、化粧品とアパレルが大打撃を受けていると聞く。私の感覚では90年のアルマーニの話と類似に見える。(あくまで一旦だと思うが)一旦は見栄えで勝負の時代は終わるだろう。その裏側で起きている変化は、ゲノムとデジタルアイデンティティだろうと思う。そして、時代の転換期に重要なのは、フィジカルな(あるいはメンタルを含めた)健康に意識を向けることではないかと思う。

国というしばらく続いてきた制度が終わるか、あるいは人類が滅亡するか、私達は、今、その分かれ道に直面していると思う。