移動の自由が欲しい

私は旅が好きだ。特に海外旅行が好きで、ここ10年はほぼ毎年新しい国を訪問している。昨年は、今話題のベラルーシとリトアニアを新たに訪れた。今日、エストニアの大統領とリトアニアの大統領がベラルーシの件で話し合ったTweet

を見た。近隣4国からの要請も読んだ。

ベラルーシのミンスクからリトアニアのヴィリニュスは道路で約180km、東京駅・静岡駅とほぼ同じ距離だ。ベラルーシは日本のパスポート所有者に対してミンスクへのVISAなし渡航を認めているが、空路が条件となっているので、ラトビアのリガ(2回目)からミンスクに入って、ヴィリニュスに飛んだ。可能ならバスで180kmを走って景色が見たかった。

昨年の訪問で私には、リトアニアには自由があってベラルーシには自由がないと感じられた。リトアニアは再訪したいと思った。ベラルーシもきっと変わるだろうと思った。

これまでを振り返ってみると、繰り返し行きたいと思う場所には共通点がある。例外もあるが、繰り返し行きたいと思う場所は、未来が開けているように感じる街だ。仕事とは言え繰り返し通った数が一番多いのはサンフランシスコ、シリコンバレーだ。ただ、今は懐かしくは思うがそれほど強く行きたいとは思わない。90年代の彼の地は強烈に街が変化していた。ベンチャーの社長にはレバノンの人がいたりサイードさんというアラブ系の名前を持つスウェーデン国籍の人もいた。スタンフォードにはアジア系の研究者もいたし、Googleにもセルゲイ氏がいた。もちろん、理想郷ではないのだが、そこには自由と輝かしい未来があると感じられて、すっかり魅入られてしまった。

今はどうかはわからないが90年代のパロアルト近辺は本当にどんどん変わっていた。ビルの看板がどんどん入れ替わり、勢力図が目に見えて変わっていた。しかし、家賃が暴騰し格差が目につくように、というか、格差が解消不能な気配を感じるようになると、私の中では魅力は急速に失われてしまった。

2000年代で印象に残ったのは、上海、蘇州とベトナムだ。シリコンバレーとは全く違うし、中国とベトナムの雰囲気もかなり違う。ただ、明らかに東京とは勢いが違ったのだ。当時はまだ東京最高と思っていたところがあったので、常に東京の視点から好ましいと思うところ、遅れているとどこかでバカにするような視点があったことを思い出す。しかし、勢いのある街は、あっという間に変わっていく。数年経過すると大きく景色が変わってしまうのだ。

2010年代で最も多く訪問した街はカトマンズだ。ネパールは最貧国の一つとして知られているが、カトマンズにいると貧しさは感じるけれど、同時に猛烈なエネルギーを感じる。大学を出ると9割はインドに出ていってしまうという話を聞いたりしても、必ずこれから今より良い未来が来るという空気を強く感じた。今は、ビジネス上の関係が止まっているのと、行きやすい地ではないのでしばらく行っていないが、また訪問したい街の一つである。

一昨年は、ギリシャと2回目のエストニアだった。ギリシャには自由は感じられたが、短期間の滞在のせいかも知れないが、保守的で勢いは感じなかった。アテネでコワーキングスペースに行って話を聞いた時に、新しいことをやろうとする人を政府が応援する意思が弱いように感じた。地縁血縁が色濃く残っていて、どこかあきらめ感が漂っていた。長いものには巻かれておけという印象が強い。一方エストニアのタリンには勢いがあった。もちろん、誰もが前を向いているわけではない。ただ、シリコンバレーがそうだったようにガレージハウス的なコワーキングスペースに人が集まっていてエネルギーが溢れているのを見ると、ああ、きっとこの中から何か、誰かの花が咲くのだろうと感じられる。実際には成功者はわずかだろうと思うが、とても好ましく感じられる。また、戻ってこようと思わされるのだ。

最近は、私に取っては残念なニュースが多い。トランプのAmerica Firstは本当にがっかりだし、イギリのBrexitもがっかりした。中国の香港弾圧もがっかりだ。なぜかはわからないが、自由を求める声が弱っているように感じられる。自分が困らないという自由と、できる限り多くの人が困らないような制度的な自由は似て非なるものだ。自分が無事食べていける塀の中の自由、あるいは格差によって守られる自由は不利益に直面している人を見ないことにすることでしか維持できない。その方向に向かって進むと、恐らく待ち受けるのは破綻と戦争だ。まず、いろいろなものを見る自由を大事にするのが良いと思う。

私は、移動の自由はかなり本質的なものだと思っている。移動の自由を高めるためには、地域間の制度の整合性が高まらないといけない。思想信条の自由も然り。公衆衛生も然り。

近隣4国からの要請の1にあるように、自由権、人権、市民権(fundamental freedoms, human and citizen rights)の尊重が大事だと思う。中国政府にもアメリカ政府にも日本政府にも、あるいはエストニア政府にも全ての人が国を超えて声を上げ求め続けるのが望ましいと思う。短期的に見て自分がOKならOKと油断していると気がついた時には専制が支配する社会に落ちてしまうだろう。まず、事実を大事にするところから始めるのが良い。