コロナ前から、教会の説教でヨブ記を学んでいる

さとなおさんがヨブの信仰でサマリーを書いている。途中で「薄っぺらく言及するといろいろ地雷踏みそう」と書かれているが、私はヨブ記は因果律の否定と、回復という側面があると思っている。

私の通う教会の説教でヨブ記の最初の回の最後のフレーズは、「プロローグの前半は淡々と進むが、彼の悲劇は人間のすべての悲惨を端的にえがいている。その一つ一つを掘り下げて問い、自らに重ねるとき、ヨブの答えはあまりに重いと言わざるを得ない」とある。

パンデミックの現実を振り返ると、別に私やあなたが何をしたかはどう考えても関係ない。確かに、地球温暖化を放置した責任を80億分の1担っているかも知れないし、先行国の責任はもっと重いという考え方もあるが、それで確率的に死に定められるのは理不尽な感じがする。

改めて、中東がずっと戦乱から自由になれないことに思いを馳せる。