今日箱崎に用があった。広い意味で通勤時間帯だったので、感染防止を考えて歩いていったら片道9,200歩、1時間強だった。
3.11の時深夜に歩いて帰宅した時のことを思い出した。
感染爆発を抑え込んだとしても、余程画期的な治療法が確立されない限り1年半から数年は用心をし続けていくしか無いだろう。頭を切り替えていかないといけない。
現金給付をどうするというような議論がなされていて、まずは迅速に個々人が飢えないようにするべきだと思うけれど、一回やれば終わりという話にはならない。米国では失業率が3割を超えるのではないかという予測も出ており、どう転んでも大きな政府に向かわざるを得ないだろう。
「自粛と給付はセットだろ」という声もあるが、私は、「分厚い社会保障と増税はセットだろ」と思っている。問題は、政治・行政の透明性だと思っている。
3.11後の原発事故で日常はもう戻らないかも知れないと思ったが、実際には日常は戻った。それは東京にいるからであって、事故被災地では日常は戻っていない。新しい日常を作っていくしか無いのだ。今回のコロナ事件は被災地は全世界だ。元の日常は戻らない前提で考えないといけない。しかし、新しい日常を作り上げれば良いだけだ。
過去の栄光を取り戻そうと考えすぎるのは危険だ。適者も入れ替わるのは、自然なことだ。
事実に基づいて施策が実施される、透明な社会を作りたいと心から願う。弱者が虐げられない社会であって欲しい。