エストニアのOnce onlyポリシーはぜひ見習うべきだと思う

hagi2020/02/12(水) - 09:58 に投稿

今日、Twitterでエストニアで住所変更した経験を書いた記事を見た。

日本だと転出届を出して、転入届を出す。住民票という役所がオーナーシップをもつ情報を本人と転居元の役所、転居先の役所が届という伝票を用いてやり取りする。エストニアだと大家と借家人の合意をシステムが記録しているという形になっている。

そして、日本だとマイナンバーカードに住所が印刷されていて、マイナンバーカードは再発行になり、エストニアだとeIDカードにも住所の記載はなく影響を受けることは無い。加えて、日本では住所を変更すれば、運転免許証なども変更手続きをしなければならないが、エストニアだと、運転免許証はeIDと関連付けて発行されていて、住所はeIDを介して間接的に結び付けられているから、運転免許証の住所変更手続きは必要ない。

もう少し、引いて見ると、eIDは個々の自然人に対してIDを付与したわけだが、マイナンバーは自然人ではなく住民票を介してマイナンバーを付与したという事だ。自然人にとっては、居所は一時的な属性に過ぎないのに、マイナンバーカードに住所が刷られているので引っ越しするとマイナンバーカードを再発行または記載修正しなければいけない。馬鹿げている。

戸籍や住民票の仕組みは徴税権とも関わるもので、日本の制度は良くできていると思うが、国家権力を機能させるために良くできているのであって、民=自然人の権利に基づいて設計されていない。コンピュータ誕生前にシステムを設計すると、管理能力の限界があるので、階層的に行政区→家→個人という管理方式は合理的だった。しかし、現在のICT技術だと、自然人に直接IDを付与して管理するのは難しいことではない、構造は逆転し、個人が行政区に加入する形態が合理的になる。

Shoko Furushita氏のTweetは彼女が居所を移し、それを大家がそれを承認、事実を証明したという事が記録されただけで、役所はその届に従って、行政サービスを提供する義務が生じるようになったことを示している。日本的に言えば、行政は管理の主体ではなく、サービスの提供者に「なり下がった」のである。個を頂点とする行政システムが実現されていて、そのサービス内容を決定するのが制度、法という事になる。ICTでの手続きでは、役人の裁量権は基本的にゼロになるから、意地悪(官憲の横暴)はできない。行政官の特権は失われ、制度の不備は法(プログラム)の改定で解決していかなければいけない。そこに科学的な行政が織り込まれる事になる。

Once onlyは、行政に一度登録した情報は二度と聞かれることは無いという方針で、転居届を市役所と警察と両方に出さなければいけないというようなことはあってはならないという方針である。逆に言えば、一か所だけに自分の属性情報が記録されていて、その属性情報を必要とする主体は、その一か所の記録を参照しなければいけなくなる。その記録の参照ログが本人に開示されていれば、誰が自分の情報を参照したかが明らかになる。その情報が守りたいものであれば、その一か所の情報を守れば良い。

e-residencyプログラムを含め、エストニアのeIDのもう一つ優れた特徴は、電子署名、暗号化プラットホームの提供である。暗号化は相手のIDを指定して行うので、指定した相手が復号化しない限り誰にも読むことはできない。また、電子署名により法的な責任が発生する体系になっている。そして、現時点では十分な堅牢性がある。だから、賃貸契約は電子署名ででき、例えば、賃貸料の部分は暗号化されたファイルになっていて良い。汎用のひな型の契約と個別の機微な情報を含む契約文書を暗号化したものとまとめたフォルダーで電子署名を行えば、その契約書を公の目が届く場所に置いておいても何ら問題は無い。まあ、普通は公の場所には置かないだろうが、第三者に保管を依頼するのは自然だろうと思う。そして、預かった第三者も暗号化された部分にはアクセスできないのである。行政も法執行機関も基本的には暗号を解くことはできない。細かくは追っていないが、仮に法執行機関が保管されているプライベートキーを用いて解凍しても復号ログは残るはずだ。個人の情報を守る機能が充実していて、その保管場所を限定でき、コピーを作らないという契約があれば、自分の情報を守る事ができる。

行政に留まらず、購買履歴をどこまで開示するかもコントロール可能にできるだろう。

ICTの進歩によって、国を頂点とする階層型管理というスキームは既に時代遅れになったのだ。まだ、法治の効力範囲は国を単位としているが、管理のスキームは個を頂点として支えてとしての行政があるという民主主義体制が技術的に確立できるようになった。そして、既にEU市民権のように法治の効力範囲は国を超えるようになった。

技術が変われば社会はいやおうなしに変わらざるを得ない。積極的に変化に立ち向かわなければ、衰退が待っていると思う。大きな国ほど困難が伴うとは思うが、構造転換は避けられないと思う。

エストニアは電子政府の先進性で有名になったが、電子化が進んでいる国としてベンチマークするのは間違っていると思う。むしろ、全く違う政府の仕組みに他国に先駆けて移行した国と捉えた方が良い。蛇足となるが、私は、日本やアメリカは貧困の問題を階層管理で家に押し付けることができなくなり、情報が明らかになったら、民主社会主義的な大きな政府に向かう以外の選択肢はなくなるだろうと想像している。

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