昨年から始まったDrupalの認定試験に合格した。
Acquia(アクイア)はアメリカのベンチャービジネスで、Drupalの創始者が創った会社である。その日本法人ができて、国内でもDrupal関連の認定試験を始めて、日本でもまずは500人の認定技術者を出したいと、今、強力にプロモーションしている。私も、内外のDrupal界隈では、多少は知られているので、お声がけをいただいた。正直、自信があったわけではないが、当日の試験前に試験項目の内容を4時間ほどかけておさらいをして、試験に臨んだ。「アクイア認定サイトビルダー – Drupal 8」は、いわゆる初級試験だから、取得して威張れるようなものではない。しかし、Drupalは巨大なソフトで、プロとしてDrupalを利用していても、使う機能は部分的だから、すごい人でも初級試験に落ちる危険はある。50問(選択式のPC試験)75分で、8分野からなる。以下は、結果込みのリストだ。
1.0 Drupalの理解: 100.00%
2.0 Drupalサイトの対応: 100.00%
3.0 コンテンツのモデリング: 100.00%
4.0 サイト表示設定: 83.33%
5.0 サイト構成: 85.71%
6.0 コミュニティおよびOSSプロジェクト: 100.00%
7.0 モジュールおよびテーマ管理: 100.00%
8.0 セキュリティおよびパフォーマンス: 75.00%
Drupalは、2001年の1月15日に最初のバージョンがリリースされた本格的Webサイト構築ソフト、無料のオープンソースCMS - Content Management Systemだ。見た目のきれいなWebサイトを簡単に作ろうと思うなら、同じく無料のオープンソースのWordPressを使えば良い。技術者も多く、現在のアメリカホワイトハウスのページもWordPressで作られている。先代のオバマ大統領の時は、Drupalが用いられていた。オバマ大統領の時代には、請願機能を含めて、ユーザーの声を集める機能が含まれていて、相当高度なものだったが、トランプ大統領はTwitterで発信しまくるだけで、民の声など聞きはしない。そういう姿勢であれば、Drupalはいらない。しかし、オバマ大統領時代に政府が利用できる複雑な機能が多くオープンソースとして登録され、オーストラリアを初めとして多くの国で今も使われている。アメリカも正常化すれば、やがてDrupalに戻ってくるだろう。地方政府では依然として使われている。
試験項目の「3.0 コンテンツのモデリング」が、Drupalの強みを表している。私が前職にいた時は、データベース(RDBMS)がそのモデルを実現するソフトウェアだった。私は、本音ではRDBMSは嫌いだった。背景の理論は正規化を含めてかなりしっかりと学んだけれど、時間の扱いが面倒なのだ。Drupalも内部ではRDBMSを利用しているが、WordPressとは異なり、直接的なつながりはない。さらに、Web画面とコンテンツは直結していない。扱うデータとWebの表示は別のものなのである。今回の私が受けた試験では「1.0 Drupalの理解」でヘッドレスの話が出題された。試験に出るわけではないが、Newyorkの公共交通機関はDrupalを利用して利用者に情報提供を行っている。駅で、次の電車があと何分で来るという表示の裏側ではDrupalが動いている。もちろん、表示板はWebではない。スマホのアプリでも、Webでも、駅の表示でも、もととなる情報=コンテンツは同じものだ。そして、株価と同じようにその情報は刻一刻と変化し、しばしば過去がどうだったかを振り返りたくなる。私が知る限り、今の状態をきれいに表示できるソフトは山ほどあるが、Drupalほど履歴を含めたコンテンツ管理を表示と独立して管理できるソフトウェアは他に存在しない。
私が2013年に独立した時に、そのサービスを実装するための基盤としてDrupalを選んだ。当時は、今ほどDrupalに詳しくはなかったし、もっと機能拡張されたRDBMSに近い印象をもっていた。しかし、このソフトウェアは歴史の検証に耐ええるものだと直感的に思ったのである。創始者のDriesの名前も知らないままに、当時のAcquiaボストン本社に飛んだ。今とは違う郊外の不便なところだったが、オフィスの印象も良く、政府系の仕事をしているらしいチームもプロを感じるのにその上リラックスした雰囲気があって本物だと思ったのを思い出す。今では、Forresterレポートでも良いポジションを占める有名な会社になったが、当時は日本のパートナー企業は2社だった。よくわからないまま3社目のパートナーになったのを思い出す。とはいえ、私(の会社)はセールス機能がないし、Acquiaのサービスを売る力があるわけではない。しかも、本当に残念なことにDrupalをプラットホームにした私の手掛けたサービスのプロジェクトは失敗してしまったのである。結局、Acquiaが大企業になる過程で篩にかかって昨年にはパートナー資格を剥奪された。今も残念に思うが、それが商売の現実である。
Drupalがリリースされた2001年は、9/11の年でもある。当時はASPビジネスの立ち上げに懸命だった。今は、クラウドサービスと呼ばれている技術の黎明期だった。もちろん、当時はDrupalのことは全く知らなかった。知ったのは、2000年代後半だったと思う。創始者の慧眼を心より尊敬する。そして、そのAcquiaから認定エンジニアとして認められたことを誇りに思う。