2019/9/28付の日経の書評を見て『僕らはそれに抵抗できない』という本を手に取った。
プロローグでジョブズが「自分の子どもたちはまったくiPadを使っていないと語っている。『子どもが家で触れるデジタルデバイスは制限しているからね』」とある。デジタルデバイスの依存症リスクを強く意識していることが分かる。
この書籍は、行動嗜癖のメカニズムに迫っている。
脳科学辞典の記事によれば、
行動嗜癖とは、ある特定の行動や一連の行動プロセスがもたらす高揚感や、不安や怒りの軽減、緊張からの解放など、不快感情の軽減が一種の報酬効果となって反復化・習慣化し、心理社会的もしくは健康上の問題をもたらしていることを知りながらも、その行動をとめることができない状態を意味する。しばしばその行動に対する自己制御困難の感覚も伴っている。この自己制御困難感の強い病態では、強迫との境界は不明瞭になるが、そもそも本人がその行動を好んでおり、本人が自ら主体的にその行動を選択しているという点において、強迫とは区別される。
とある。
私は、何かの記録を始めるとやめられない。家計簿は毎日1円単位で合わせないと落ち着けないし、体重を毎朝量ってExcelにつけたり、水泳で何m泳いだかを記録している現在のExcelファイルは2008年の1月19日から続いている。
家計簿も、諸記録も「ある特定の行動や一連の行動プロセスがもたらす高揚感」があるので、行動嗜癖かなと思うが、「心理社会的もしくは健康上の問題をもたらしていることを知りながらも、その行動をとめることができない状態」には当てはまらないので、依存症とまでは言えないと思っている。
一方SNSの方は、「心理社会的もしくは健康上の問題をもたらしていることを知りながらも、その行動をとめることができない状態」と言えなくもない。私がSNSに投稿する主要な動機は、自分の考えている事を自分が理解したいからである。文章を書き始めると、自分が思っている事が意外とあやふやで確信していると思っている事もうまく説明できなかったり、書いている間に自分の考えが矛盾だらけであることに気づく。マゾヒスティックだが、何とか書き上げることに明らかな自己満足的快感がある。もちろん、書き上げたものにしたって完成度は低いし、万民に共感が得られるとはとても思えない。共感が寄せられることもあるし、異論が寄せられることもあり、フィードバックが得られれば、さらに考える。深みに嵌る感覚(「自己制御困難の感覚」)があるので、こちらは行動嗜癖と言える。あとは、どの程度病的、あるいは有害かという程度の問題が残る。
自己制御困難というのも結構難しくて、例えば、家計簿は自己制御(浪費防止)のために予算管理と実績管理を行うものなのに、もし1円を合わせるために合理性を欠くような時間を使うようになったら、その行動は自己制御ができない状況になっているという事になる。SNSも変わらない。私の場合SNSに投稿する主要動機は承認欲求ではなく、自分がより良く人生を生きて幸せになりたいという願望である。読み手がどう考えるかを想像しながら書くという行為自体が目的だ。一方で、一度書いてしまえばその主張を通したくなってしまう。反応の連鎖になってしまうと自制心が欠落してしまう(自己制御困難)。全体としての優先順位が自分の好ましい状態、あるいは社会的に見て好ましい状態を逸脱してしまうと有害となる。有害事象が起きないようにしたい。
『僕らはそれに抵抗できない』の第一章は「物質依存から行動依存へ」という表題がついていて、薬物依存症と行動嗜癖を対比しつつビジネスとの関係を整理している。脳が快感を記憶してしまうドーパミンに関わる研究が紹介されている。薬物依存は、薬物が脳を破壊してしまうからだと考えてしまうけれど、この本を読んでいると依存症そのものと薬物の効能は分けて考えた方が良いと気づかされる。つまり、アルコールやたばこを含め体に取り込む物質の化学作用が依存症を生むのではなく、一種の快感が脳に記憶されてしまって快感を求めずにおられない状態になれば、依存症は発症してしまうということだ。行動嗜癖の場合は、目標達成の快感が依存を生み出す。例えば「いいね」を求めると依存症に陥るリスクがあるという事だ。さらに第二章で「僕らはみんな依存症」と題して、依存症のメカニズムに関わる研究を紹介し、第三章「愛と依存症の共通点」の最後の部分で「好き」と「欲しい」が別物であることとの研究で「欲しい」を脳が記憶してしまうと依存症になってしまうという衝撃の事実(仮説)が紹介されている。この部分までで全体の30%となる。
第二部は「新しい依存症が人を操る6つのテクニック」で4章から9章までで、行動嗜癖を引き起こす6つの原因仮説について解説している。6つが適切かどうかは意見が分かれるだろうが、6つのテクニックは行動嗜癖を引き起こす依存症ビジネスの教科書となるものだ。政治的な事象にも応用可能だし、一歩足を踏み入れてしまうと薬物と同じように足抜けが困難になるような「場」の構成要件を明らかにしている。知識として持っているか否かでリスク評価に役に立つ。一方、6つのテクニックは、会社や国が従業員や国民を取りまとめて所期の成果を出させるためのテクニックと同じである。そして、そのテクニックを駆使してしまうと実は会社も国も破壊してしまうことが分かる。構成要員の多くが依存症になってしまえば、短期的には成果を出せても、やがて破たんするのは明らかだ。同時に、政治家や起業家はそのテクニックを応用する誘惑に勝てない。テクニックが稚拙なら退場させられるからだ。つまり、ゲームの達人が勝利し、会社や社会を破たんさせてしまうという事だ。人間の性質に潜む絶望的な現実が明らかにされたと言っても良いだろう。
第三部「新しい依存症に立ち向かうための3つの解決策」は全体の残り25%程度にあたり、対症療法的なアイディアを紹介している。どれも有効に感じるが、第二部でつきつけられた絶望に対応させると残念ながら非力な感じは否めない。『僕らはそれに抵抗できない』という本に解法を求めてしまうと裏切られる事になると思う。
この本は、研究のための良いガイドブックになるように思う。また、もっとコンパクトにやさしくまとめた書籍を初等教育レベル、中等教育レベル、大学教養レベルに合わせて作成し、学校教育に組み込むのが適切と感じた。様々な異論も出るだろうが、本書が多くに人に読まれるよう期待したい。